クリスマスになると思い出すのが『赤毛のアン』です。
今年、100周年ということで、元祖岡村花子さん訳を始め、いろいろな方の訳書がさまざまな出版社から出ています。
折に触れて思い出すことが多い「アン」の物語、けれど実際持っていたのは小学生向けの、「赤毛のアン」単発だけの本。
続刊は図書館から借り手読んだ本でしたが、多分、私が始めに、そして一番「キリスト教徒的な生活」を自然な形で読んだ本ではないかと思います。
あの人は長老会派だからどうの、という話がごく自然に話中に出てきて、それでも隣人として共にある人々。
日々の生活の中で、あの人は日蓮だから、とか、曹洞宗だから、なんて聞いた記憶はないので、その分だけでも新鮮で、あちらでは信仰というのが生活の中に根深く関わるものなのだな、と思った記憶があります。
で、なぜか脳学者の茂木健一郎
さんが赤毛のアンについて書いている。
「幸福」とは何か、その秘密が隠されている。「仮想」「受容」「奇蹟」「ひたむきさ」「偶有性」「セレンディピティ」…
そんな文が書かれている。
読んで、私が赤毛のアンを読んで、何を感じていたのか、改めて整理してもらった気がした。
人生でで最初の、そしておそらくは、最大の理解者を、1巻も最後の方でアンは失う。
けれどそれを受け止め、生きていくのは、そこに幸福な受容があり、それで生かされていたことを知り、
応えていく対象を得ていたからだと、思う。
それは別にキリスト教を信心していなければ得られない心持だとは思わないけれど、
キリスト教というものが導く境地のひとつだとも、思う。
「世はなべてこともなし。」
最後にそうつぶやくアンが、なんとなく私にはクリスマスの気分なのだ。
グロリアや樅の木をつぶやいてしまうように。
I wish you a Merry Christmas.