ミニミニドライブを兼ねて、平和島まで映画を見に。

20世紀少年です。

生まれ年でいえば、私よりも上の設定の人たちになりますが、古い記憶ばかり鮮明な私には、中々に懐かしいような風景がいっぱい。
原作も先に読んでおいたんですが、配役の妙に笑ってしまって。
佐野史郎を持ってきた発想や、ミッチー王子をビジュアル系バンドのヴォーカルに持ってきた辺り、あの年代の臭いがぷんぷん。
キルビル見たときにも感じましたが、70年代サブカルの臭いを胸一杯に吸い込んで育った世代が、クリエイターの中核に来ていることを再確認。
なんと言えばいいのか、多分、同年代ぐらいでないと分からない、サインが沢山散りばめてあるのです。
研ナオコが駄菓子屋のおばあさんをやっているのも、カックラキン大放送のコントを彷彿とさせるし、
及川光博も、デビッド・ボウイや沢田研二を狙った昔懐かしの『王子』キャラでブレイクした人だし、
二足歩行ロボットの研究をしていた学生の名が金田正太郎と言うのも、当時子供だった世代のお遊びで、オマージュ。
ビジュアル系見てこれがロックかというのも、ロッカーとして名が出てきたのがジャニスやジャコ、早逝したロッカーの名がが出てくるのも、あの辺、ではない、『ここ!』という強烈な年代指定を感じたのも作った世代を背景に感じた理由。
ロックが若者の音楽なのは、反抗と苛立ち、理想と挫折をむき出しの感性で歌うからで、テクニックが上がっても、年齢が上がるとそれを乗り越える手段を知った深みが現れてきてしまうからロックは若い人の声で歌う方が胸に刺さる、という話を聞いたことがあり。
彼らがその後生きたとして、ロックを歌い続けられたか?
自分達は、そんな気持ちを持ち続けられるか?
そう言っているようでもあり。

他にも挙げればきりがない、もちろん娯楽対策なのだけれど、これは同時に子供の主観で再構築し直したアルバムとも言える映画です。
変速ギアつきの子供用自転車で、『加速装置!』といいながら速度を変える辺りとか。

ひとつの世代の共通言語で作られた映画が他の世代にまで響く、というのは、コミュニケーションの不足を世代ギャップのせいにはしていけない、とも思え、色々な意味で楽しんでこれました。

映画の間に雷雨も終わり、雨避け女歴が追加になりました。