年齢とともに、ものの考え方、受け取り方というものは変わるものだけれど、


言葉に隠れた意味、というものを感じて、愕然とすることがある。




昔は、『身の丈』というと、背伸びをしない、華美にならない、倹しい…というようなイメージがあった。


倹しいは大げさかもしれないけれども、年齢や収入に相応な、相応程度に留めなさい、

というような、

どちらかというと諌める種類の言葉といった印象。


けれど、『身の丈』という言葉には、卑屈さはない。

ということは、背伸びもしなければ、屈みもしない、背をちゃんと伸ばした姿…


と思うと、ちょっと恐ろしい気がしてきた。


収入に無理を掛けず、自分に無理を掛けず、自分に似合う、自分に心地いい…

となれば、華美でないのはもちろん、やたらに安いもの、いい加減なもの、も当てはまらない。


手入れに手間を掛けることを惜しまない人なら繊細なものでよし、

でないなら丈夫であったり、簡単な手入れで済むもの。


手間をかけるという意味では健康もそうだろう。

未病という、実に丁度いい言葉が一般的になってきたけれど、

自分が自分であることが心地よくあるように、疲れ、だるさを感じたら体に手入れをしていくのも、

『身の丈』。

気持ちよく背を伸ばして生きていけるように、

人と対峙できるように、


と、思うと。


『身の丈』を知る、ということは、自分を、自分らしさを知るということ。

性格や個性というだけではなく、状況や、関係性や、自分の気持ち、もろもろ。


と思うと、『身の丈で生きればいい』

という言葉は、力むな、ではなく、


『我を知れ』


という叱責に聞こえてくる…。


怖いことに気付きました。


華やかなものが似合うなら華やかにするのがいい。

シンプルが似合うならそうするのがいい。


似合わないなら、自分の身の丈で着こなせる工夫をするのがいい。


背を丸めたり、背伸びをしたりして虚勢を張るのではなく。


何が好き、というのもまた自分。

なら、借り着にしないのが、自分が選んだものへの敬意。







…失礼な生活をずっと続けてきた気がして、今真っ青です…。(´m`lll)