鎌倉宮です。

ここは明治天皇が約700年前に暗殺された護良親王をお祀りするために建てらた神社です。


東京歴史散歩


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護良親王は南朝の後醍醐天皇の皇子ですが、建武の親政に反抗した足利氏に捕らえられてこの地で暗殺されました。

この神社には親王が幽閉されていたとされる土牢が公開されています。


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土牢

護良親王がここに幽閉されていたとされていますが、本当にここに幽閉されていたのか真偽は分かりません。

中は狭くて暗くい場所でした。

親王の首塚もありましたが、撮影はしませんでした。


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紫陽花

無念の思いで亡くなった親王の霊を慰めるように見事に咲き誇っていました。


この神社は親王を暗殺した足利氏の残虐性を強調し、南朝の正当性をこれでもかと大々的に訴えかけていました。

このため、足利尊氏は戦前、後醍醐天皇に刃を向けた逆賊とされてきました。

この南朝を信奉する神社では尊氏のことを「高氏」と記してあります。

「尊」という字は後醍醐天皇に自身の諱である「尊治」から与えられた字ですが、この神社ではもとの字である「高」の字を使っています。

そういえば、明治神宮の宝物館でも足利尊氏のことを「高氏」と記してありました。

きっと南朝正当論の立場としては後醍醐天皇から与えられた「尊」の字を絶対に使わせたくないのでしょうね。


明治天皇は即位した後、今までの北朝から一転して南朝正統論を掲げ、南朝に貢献した人物の復権をしました。

皇居に楠木正成像が英雄として設置され、新田義貞など南朝の旧臣の子孫が爵位を与えられたのもこのためです。

孝明天皇までの北朝系の天皇であれば間違っても南朝正統論なんて言わないはずなんですが・・・

これは何を意味しているのでしょうか???

孝明天皇も暗殺された可能性が極めて高く、ミステリーですね。


護良親王の陵墓は鎌倉宮の近くにあるのですが、疲れていたので行きませんでした。

怨念のこもった場所のようなので参拝する際は心して行った方が良いと思います。