西武球場前の狭山不動尊です。

ここは以前ご紹介した増上寺徳川家霊廟にあったわずかな遺構を移した場所でもあります。


東京歴史散歩


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勅額門

台徳院と書かれています。

台徳院とは2代将軍徳川秀忠のことです。

戦前までは増上寺にありましたが、空襲で被害を受けた霊廟の地を堤康次郎が二束三文で買い叩き、残った遺構を撤去する場所としてこの地に寺を作ってもってきました。

この門があった場所は現在プリンスホテルとなっています。



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御成門



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多宝塔

大阪の畠山神社から移築だそうです。



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宝塔

五代将軍綱吉公生母、桂昌院廟のものです。

増上寺から撤去されてきました。



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丁子門

増上寺の崇源院廟所にあった門

崇源院とは2代将軍徳川秀忠公夫人お江与の方のことです。



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燈篭群

増上寺の徳川家霊廟にあったもので全国の大名から寄進されたものです。

写真には撮りませんでしたが、はっきり言って柵の中に放り込まれている感があります。


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これらの遺構はほんの65年前までは増上寺徳川家霊廟で光輝いていたものです。

戦争で焼け残った遺構はほとんどここに持ってこられました。
この様子を見ると本当に無残としか言いようがないです。


現在のプリンスホテルには徳川家霊廟を偲ぶものは二天門くらいしかなく、悲しい気持ちになってしまいます。

一度失った聖地は二度と元に戻りません。

西武の周落は廟所を更地にされ、遺体を暴かれて狭い場所に移されてしまった徳川家の呪いなのかもしれません。


自分達の文化を簡単に否定して破壊してしまうのは明治以降の日本人の悪しき性です。

明治政府が行った廃城令、廃仏毀釈などによって多くの国宝級の文物が海外へ流出し、日本文化が受けた打撃は計り知れません。

特に廃仏毀釈は、聖徳太子が導入して以来1300年育んできた仏教文化を一瞬の内に破壊してしまいました。

興福寺の阿修羅像や運慶の仏像までもが海外へ流出する一歩手前でした。

これは国家が行った大罪であり、もはや破壊されてしまったものを取り戻す術はありません。


現在、辛うじて仏像が残っているのは岡倉天心の血の滲むような活動によるものです。

明治の元勲と云われる支配階級の人々は日本人が古来より培ってきた価値観を否定し、欧米人に対して恥とさえ思っていました。

その一方で欧米人に評価されると一度否定したものを手のひらを返すように見直すのは悲しいまでの白人コンプレックスなのかもしれません。。。

天心はこの明治政府の劣等感をうまくくすぐり、フェノロサから政府高官に対し仏教を評価してもらうことによってようやく政府が動き、多くの仏像が救われました。

日本人は岡倉天心という大恩人に深く感謝しなければなりません。