金沢文庫からの帰りに鎌倉へ立ち寄りました。
現在鎌倉は『武家の古都・鎌倉』として世界遺産登録を目指しています。
GW期間中ともあって大勢の人でごった返していました。
鶴岡八幡宮を目指して若宮大路を歩いて行きます。
二の鳥居
若宮大路は鳥居をくぐると八幡宮に近づくにしたがって段々道幅が狭くなっていきます。
遠近法を用いることによって八幡宮までの道を長く壮大なものに見せようとした意図が伺えます。
舞殿
ここで静御前が夫である義経を想って舞い、頼朝の激しい怒りを買いました。
周り全員が敵の中、女の意地を通した彼女の舞は今も語り継がれています。
以前、大河ドラマ『義経』で石原さとみさんが素晴らしい舞を披露し、感動で目頭が熱くなりました。
現在はここで結婚式がよく行われています。周りの観光客からは大注目となりますが。。。
すごい人混み
石段の隣には樹齢1000年の大銀杏がありましたが、今年3月強風により倒れてしまいました。
小さい頃歴史の本で覚えた舞台なのでショックです。
ここは3代将軍実朝公の暗殺現場です。
暗殺者は公暁という2代将軍頼家公の子です。
暗殺の際、公暁はこの大銀杏に隠れていたことからこの木は『隠れ銀杏』とも呼ばれていました。
ちなみに頼家公は北条氏に暗殺され、母である北条政子も我が子の殺害に加担したと言われています。
将軍家である源氏よりも北条一門の繁栄を選んだのでしょうか?
これにより頼朝の血統は完全に根絶やしにされてしまいました。頼朝に殺された義経の怨念がそうさせたのかもしれません。
彼女はその後、実質的な尼将軍として承久の乱で後鳥羽上皇まで討っています。
恐ろしい女傑ですY(>_<、)Y
現在は木の根元を隣に移して再生を図っています。
新しい芽が出てきています。
鎌倉幕府成立までに源氏と平家は血で血を洗う死闘を演じましたが、その両家が滅んでしまったのは歴史の皮肉でしょうか?
リスが非常に人間に懐いていました。
エサをもらってパクパク食べています。
源氏が絶えた後の鎌倉幕府は京より親王を迎えて将軍とし、北条氏が執権として実質的な支配をしました。
将軍には何の力もなく、狭い鎌倉の中では陰謀が渦巻き、北条一門の中でも争いが絶えないドロドロとした呪われた政権のような気がします。
だからこの街には武士の物々しさというか殺気が今でも生きているような気がしてなりません。
八幡宮からの帰りに鎌倉幕府滅亡の際、北条一門870人が自害した腹切りやぐらにも行きました。
ここは周りとは全く違ってピーンと張り詰めたような空気があり、息苦しささえ覚えるようなところでした。
誰かに見られているような気配さえ感じられ、緊張しながらお参りをしました。
滅亡した北条一門の怨念は約700年経った今も生き続けているのですね。
※撮影は危険なのでしていません
今度はもっと時間をかけて鎌倉をまわりたいと思います。