増上寺に行ってきました。

ここは江戸時代、徳川家の菩提寺として隆盛を極めた大寺です。

第二次世界大戦で寺領の3分の2を失ってしまいましたが、それでも広大な寺院です。

今、桜が満開です。
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残念なことに、本堂の背後に東京タワーがそびえていて景観を壊しています。
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現在、本堂裏手の徳川将軍家の霊廟が特別公開されています。

普段は見られない場所とあって、たくさんの人で溢れていました。

各将軍家の宝塔を直接撮影するのは不謹慎なので、しっかりとお参りをしてから全体像だけ撮影させて頂きました。

墓地の桜ってどうしてこうも見事に咲き乱れるんでしょうね!

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下の写真は将軍家継公の二天門です。

わずか8歳で亡くなってしまった七代将軍です。

第二次世界大戦の空襲から奇跡的に何を逃れました。

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夜はこんな感じでライトアップされています。
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両将ともすごい迫力です。

広目天                        

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多門天
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二代将軍秀忠公霊廟惣門。芝公園に門だけたっています。

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江戸時代の増上寺は現在の約3倍の大寺院で、徳川家霊廟は現在の増上寺の北と南にありました。

将軍家の壮麗な霊廟は国宝に指定され、西洋人からはパルテノン神殿にもたとえられていました。
しかし、第二次大戦の東京大空襲によって、徳川家霊廟は一部を残して灰燼に帰してしまいました。
戦後、痛々しい姿が何年も続いていましたが、そこに目を付けたのが西武グループの創始者、堤康次郎です。

強引な土地買収で知られる彼は、3百年以上続いてきたこの広大な聖地を更地にしてしまってプリンスホテルを建設しました。

邪魔になった宝塔群は全て撤去され、現在の狭い徳川家霊廟に移されてしまいました。

堤康次郎は他にも皇籍離脱で金に困った旧皇族の土地などを二束三文で買収していったそうです。

プリンスホテルという名前の由来はこの旧華族の土地から来ているとも言われております。

現在の西武グループの凋落は因果応報とも言えるかもしれません。

他に残った遺構は所沢の狭山不動尊に移されています。

(※全国の買収した土地の文化財を集めるために西武が作った寺)


現在のプリンスホテル(元徳川家霊廟跡)
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西武グループにはこの横暴をよく反省して文化財の保護をきっちりやって頂きたいと願っています。