上野の寛永寺を散歩してきました。
現在の寛永寺は小さなお寺ですが、当時は上野公園一帯を寺領とする巨大な寺院でした。
黒衣の宰相と呼ばれた天海が江戸城の鬼門として徳川家の庇護のもとに大寺院を建設し、京都の比叡山に対して東叡山と名付けました。
しかし、当時の巨大な伽藍のほとんどは幕末の彰義隊の戦いで灰燼に帰してしまいました。
現存していたら間違いなく世界遺産でしょうね。
現在の上野公園の噴水あたりから国立博物館にかけてが当時のお寺の中心と思われます。
写真は現在の根本中堂で、埼玉の喜多院からの移築です。
国立博物館の周りを巡ると将軍家の霊廟跡があります。
(4代、5代、8代、10代、11代、13代、15代)
※15代は谷中霊園
江戸時代は将軍家の壮麗な霊廟が立ち並んでおりましたが、大部分は戦火で消失してしまい、現在は一般の墓地の中に点在するのみです。
現在も一般の墓地領域を広げるためなのか、徳川家の遺構の破壊が進んでいて悲しい限りです。
しかし、少しだけ遺構が残っています。
写真は四代将軍家綱公霊廟勅額門です。門があるのみで一般墓地の中にポツンと存在します。
下の写真は犬公方と呼ばれた五代将軍綱吉公霊廟勅額門です。
中は非公開ですが、以前NHKのブラタモリで特別に放送されました。
将軍家の霊廟は増上寺にもあります。
(2代、6代、7代、9代、12代、14代)
また、そのうちに報告します。