自分がこうして曲がりなりにも文章を書いて、特定だったり(アメンバー限定)、不特定だったり(全体公開)するものの、とにかく多数の方の目にふれるようになってから1年が経ってる わけですが、自分が書くだけでなく他の方の書いたものも拝読している中で気になることって正直たーーーーくさんあります(笑)
その中の一つが、表記の使い分けって皆さんどうしておられるのかな、ということです。
平仮名・カタカナ・漢字の表記をどのように書き分けているのか。
といっても、平仮名でしか書けない言葉(例えば助詞)は平仮名で、外来語とかはふつうカタカナだし、その他は大体、当用漢字の範囲内で漢字表記をするのが一般的なのかなーと、漠然とですが思っています。
多分、小学校の国語の授業ではそう教えるんじゃないかなー、と。いや私は小学校の国語教育は専門外なので違うかもしれませんが。
特に、創作的文章を書かれている方の文章を拝読すると、癖なのかなと思う部分もありますが、おそらくはご本人の何らかの意図というか主義?、或いは美学とでもいうべきものを感じることがあります。
そこに込められた、書き手の思いを推察するのもまた面白いものです。
例えば、一人称の「私」を、平仮名で「わたし」と書くか、カタカナで「ワタシ」と書くか、それぞれそこから受ける印象は異なるのではないいでしょうか。
例えば「私はあなたが好きだ」を
「私は貴方が好きだ」
「わたしはあなたがすきだ」
「ワタシはアナタがスキだ」
と書き分けてみたらどうでしょうね。
一番上は、ちょっと硬い雰囲気があるかなーと思います。漢字って、かなに比べると字に曲線が使われていないからでしょうか。
私が自分の書いたものを読み返して思うことが、『なんか硬い…というか堅苦しいな』ということなんですが、それはやはり矢鱈と漢字を使用しがちだからかなぁと思うんです。
あえてそうしているというのもあるんですけどね。
男性一人称で書く場合は、特に漢字多めで書いています。熟語も多用しています。硬い=男っぽい、というのを読み手に視覚的にも感じてもらえたらなぁと考えているのと、私の書く男性一人称の文章のその『男性』が歴史上の人物なので、時代性とか、いかめしさとか、格調の高さなんてものを少しでも伝えられたらと思ってのことなのです。
でも格調高く…なんてことは非常に難しいし、厭味っぽく思われてたらどうしよう、と危惧しています。
というか、私は手書きで文章を書いてても元々漢字や漢語を多用する傾向があるんですけどね。ということは、こと自分にとってはこれはもう癖ですね。
次に「わたしはあなたがすきだ」と平仮名で表記した場合。
やはり文字の形から受ける印象からか、やわらかな雰囲気がありますよね。
仮名文字…かな文学…平安の女流文学…女性的。やわらかい。
あと、幼い・子どもっぽい感じもします。漢字を知らないような小さい子が書いた(話した)、という設定が見えそうな。
それは即ち、素直さや素朴さ、純粋さが感じられるということだと思います。
そして同時に、何かしら話者の強い意思を感じます。本音で語ってる、という気がするんですよね。
要所要所で用いたら、非常に効果的ではないでしょうか。
でも多用したら読みづらいですよね。同音異義語は判別しにくいでしょうし。何だかわざと幼稚なふりしてんの?と腹立つかもしれません(笑)
ポイントで使ってこそ活きるんでしょうね。
同じく、普通は漢字や平仮名で書くところをあえてカタカナで書くというのも、何がしかの効果を期待してのものかなぁと思います。
「ワタシはアナタがスキだ」
…なんだかちょっと軽い感じ?
少し、というかもう年代的には結構前になるんでしょうか、『昭和軽薄体』と評された文章には、そこはカタカナにしなくてもいいよね、という部分をあえてカタカナにしているものが多かったからか、どうも多用されると古臭く思えるんですよね。
失敗すると、「私ね、彼とキスしちゃったんだ」が「ワタシね、カレとAシチャッタんだ」という《雰囲気》になる、そのくらいのイタさが漂います。
キス=Aって、もはや今時通じないでしょうね。まぁ私は実際に使用したことないんですが。
そもそも実際に会話なんかで使われていたんですか?、『恋のABC』(笑)
…というようなことを考えながら文章を読むと、それを書いた方の意図だけでなく人と為りの一面も見えてくる気がします。
「あ、言葉や表記にこだわりがある人なんだな」とか、逆に「そういったことはあまり気にしない人なのかな」とか「あ、これ厭味なんだろーなー」とか、その人の知性とか文章のセンスとか、そんなことも感じます。
まあ、表記だけでは推し量れないということは重々承知しています。だから『一面』なんですが。
とりあえず自分は、できる限り無理や癖のない表記のしかたをしたいなぁと思ってはいるんですけどね。
多分、癖ありまくりなんだろうなぁ(笑)
ちなみに「ばか」を「馬鹿」じゃなく「莫迦」と表記するのは、「馬と鹿が可哀想だ」という意識からくる私のこだわりです(笑)
…というのは半分冗談で、「莫迦」の方が愛情のこもった…何というか「んもう、おばかさん☆」みたいな雰囲気が出る気がするからです。
怒鳴るという設定でなら「バカ!」と書くかな。
「莫迦」は、もし詳細に発声した感じまで書くなら「ばーか」って音になる、というイメージ。
ちなみに艶がの土方さんは、愛情のこもった(多分)軽いののしりとして「阿呆」を使われてるんですが、個人的に関東以北の出身の方って「ばか」の方をよく使うものだと思ってたので、ちょっと「お?」となりました。「アホ」は関西風だと思ってたので。
だって関西ではなかなか「ばか」って聞かない気がするんですよね。「ばか」でののしる時は、結構マジモードというか、本気の嫌悪感や侮蔑を込めて言うような。
「あはは(笑)、アホちゃう?」はあっても「あはは(笑)、バカちゃう?」は絶対に(多分)ない。
『アホバカ分布考』って本があったので、いつか読んでみようと思います。
でも土方さんの「阿呆」には萌えるので、自分の作中でも使ってしまいますねー。「莫迦」も言わせてますけどね。
口調とか呼称とか口癖(?)くらいは、なるべく原作を尊重したいんですが…まぁ性格とか行動が既に「誰?」ですね、はい。
と、深夜のテンションでどうでもいいことを書いてしまいました。
『あれこれ考えながら文章を読む』という自分の傾向の一つが、この『表記について』なんです。
でもこれは、書いた側もそれぞれ何らかの意図をもって書き分けている筈だから、気にしていいですよね?ね?