Opening
所詮自分という人間など、歴史というとてつもない大河の中では、ただの石ころ同然の存在だ。
そう。歴史という大河の中に、ぽんと投げ込まれた小石に過ぎない。
だが──たとえ投げ込まれた石は小さくとも、その小石が水面に描く波紋は意外に大きいものなのだ。
そして、歴史という大河に絶え間なく投げ込まれる小石たち。
その度に生まれる波紋は互いに幾重にも重なりながら、いつしか思いもよらない模様を描く。
水面に向かって小石を投げる動作は人為であっても、それによってどんな模様が生じるのかは人智の及ぶところではない。
そして歴史はそれらの全てを呑み込んでなお、静かに流れゆく。
だが結局、投げ込まれた小石によって生じた波紋がどんな模様を描き出したとしても、それは後世の人から見れば、そうなるべきだった過去の事象の一つでしかない。
そして今また、新たな物語が始まる。歴史という大河に思いもよらない模様を描きながら。
──それは再び、すべての始まり。
Kyoto.1
帰ってきた。
帰ってきたんだ、私が生まれて育った平成という時代。
──土方さんと一緒に。
生きてる。土方さんが生きてる。
よかった、本当によかった。
でも。
「……どうしよう」
ここは、あの古道具屋。
私と翔太くんがカメラにふれ、幕末へタイムスリップする直前にいた場所。
そこへ私たちは戻ってきた。
私も翔太くんも着物を着て、幕末で五年近くの時を過ごし、年齢も二十歳を過ぎていた筈なのに、今は制服姿だし見た目もタイムスリップ前と変わらぬ高校生のまま。
土方さんも、ぱっと見はあまり変わったようには見えないけど、よく見るとやっぱり少し若いみたいだ。
幕末で一緒にいた間、大人の人って五年くらいじゃそんなに見た目は変わらないものなんだなと思っていたけど、こうして最初に出会った頃に戻ったらしい土方さんの顔を改めて見ると、五年という歳月は大人の男性の顔つきや印象を変えるにも十分なものなんだと知った。
そして今、函館の一本木関門の戦場にカメラを持って突然現れた時より幼く見える翔太くんが、目の前で頭を抱えている。
「危ないと思って、咄嗟にカメラを使ったんだけど……過去の人間を未来に連れてきちゃってよかったのかな……」
そう言いながら土方さんに目を向ける。
「しかも、ご本人の許可もなく……すみません」
申し訳なさそうに、こちらに向けた目をすぐに伏せる。
「お前のその咄嗟の判断がなきゃ、俺もこいつもあそこで死んでたんだ。了解を得る暇もなかったろう。それに俺はこいつさえ生きて側にいてくれるんなら、それがいつだろうとどこだろうと構やしねえんだ」
私の手を取りながら、静かに土方さんが応える。
「……もう、あの戦は終わってるんだよな。やっぱり俺たちは新政府軍に敗けたのか」
独り言のように呟く土方さんの手に力が入ったのが、繋がれた自分の手から伝わる。
翔太くんは無言で頷いて見せた。
「……あの後、わりとすぐに榎本さんが降伏を受け入れて、戦は終結した筈です」
あの時、弁天台場で孤軍奮闘していた新選組のみんなを助けようとしていた土方さん。
私も、あの戦争がどう終結したのかは詳しく知らない。
私の拙い日本史の知識だと、あの戊辰戦争の後はもうすぐに、廃藩置県だとか富国強兵だとか西南戦争だとかに飛んでしまう。
新選組はどうなったんだろう。組織としては、無くなったという事実は知っているけど、隊の一人一人はどうなったんだろう。
榎本さんは。大鳥さんは。どうなったんだろう。
私でさえこんなに気になって仕方ないんだ。
直接指揮を執り、戦いの中で、みんなと曰く言い難い絆を結んでいた土方さんの気持ちは如何程だろう。
そっと横顔を見上げると、土方さんは何でもないと言うように笑ってくれた。
何でもないなんてこと、ないのに。
「さて、これからどうすんだ?」
何で土方さんが仕切るのかは分からないけど、私も翔太くんもまだどこか自失していて、意外と一番落ち着いているのが土方さんなんだから、これも有りなのかもしれない。
「うーん……この店から出るに出られないよな」
また頭を抱える翔太くん。
軍服姿の土方さん。しかも腰には刀、勿論本物。
……外に出たら注目を浴びることは間違いないと思う。
もしかすると警察沙汰になるかもしれない。
コスプレということで誤魔化せないかな。無理か。
そんなことを真剣に考えていると、不意に店内に誰かが入ってきた気配があって、私たちの間に緊張が走った。
「あれ?お客さん?」
若い男の人の声。姿は逆光で見えないけど、その声は何だか聞き覚えがあるような……。
「また店長ったら店を空っぽにして、どこ行ったんでしょうね」
独り言のように言いながら近づいてくるその人は。
「総司!?」
土方さんが叫ぶように言って立ち上がった。
「えっ!?」
私と翔太くん、その男の人が異口同音に驚きの声を上げる。
店の入り口を背にして立つ長身の男の人。
Tシャツにジーンズという、至ってありふれたファッションだけど。
端正で優しげなその顔は、どう見ても、あの新選組の沖田さんだった。
──でも、ここにいる筈はない。
だって、沖田さんは労咳で亡くなって……ここは現代で……私たちは幕末から戻ってきてて……
「確かに僕の名前は総司ですけど」
その人も、心底驚いたという表情で私たちを見つめている。
「土方さん?それに艶花さん……と、翔太さん?」
私たちを、知っている。
「何でこんなとこに?」
……それは私も知りたいです。
絶句している私たちに、その人はもっと驚くべき言葉を発した。
「……皆さんも、生まれ変わったんですか?」