土方さんの句集『豊玉発句集』って、文学的研究ってなされてるのかなあ、と思って、ざっと調べてみたんだが、日本文学の専門家による論文が引っ掛からない。
それって文学的に価値が低いってこと?
スルーされてるの?orz
『燃えよ剣』(司馬遼太郎)では、散々な言われっぷりだし…
いや、確かに句意は単純明快というか、読めば解るというものばかりだけど、それはイコール下手なのか?
いや、私、俳句はよくわからないんだけど。
技巧的ではない、というくらいは分かるけどさ。
大体、発句集はきちんと翻刻されてるのか?
句集の『春の草』が本当は『春の鶯』ではないか、という説も近年出てきてるそうだけど…
研究の余地はまだまだあるんだなー。
そもそも、土方さんは一体どんな文学作品の影響を受けて、こんな作品を生み出したのか。
自分でも単純だなとは思うし、直感でしかないし、寧ろこうだったら面白いというか、イメージに合うかもな、という妄想でしかないけど。
━━━例えば『万葉集』の影響はなかろうか?という仮説。
『明き清き直き真の心』だの『ますらをぶり』だのと江戸時代に評された『万葉集』の影響を受けていた、と考えたら、何となく武士としての彼のイメージに合うなあ、と。
まあ、それを実際に調べようとすれば、
・句集の使用語句の万葉集における用例を片っ端から調べて、
・江戸時代に書かれた韻文散文も調べて、
・念のため八代集くらいは用例を調べておいて、
・土方家及びその周囲の人の、現存する俳諧作品なんかも調べてみなきゃ何とも言えないだろうな…
調べたところで、国文学の論文として成り立つかは分からないけど。
だがその前に、くずし字苦手だしなあ。
大学時代は、最悪、『万葉拾穂抄』だけ読めればいいやーって思って、くずし字ちゃんと勉強しなかったもんな…
そんなんだから、研究者になれなかったんだ、自分。
ちゃんと勉強しときゃよかった。
…ところで、正確には発句集よりも、短歌、特に辞世といわれる歌の方に、万葉っぽさが感じられてならない。
何でだろう。
イメージとしては、防人歌とか、遣新羅使人歌とか…
東歌も読んでみたら、何か分かるかな?
後期万葉ばっかりだなあ。
あ、でも初期万葉でも、自傷歌や挽歌とかは、雰囲気が近いかも?
土方さんの教養レベルが、分からないからなあ。
地頭はすごく切れる人なんだろうなというのは分かるけど、果たして文化的素養の方はどうだったのか。
そして、幕末に『万葉集』がどの程度広まっていたのか。
調べたいことって、いっぱい出てくるなあ。
まあ、ちゃんと調べて論文化するのは当分無理だから、こういうテーマで妄想するくらいが関の山なんだけど…