ケニアボランティア編1

古いアルバムを見ていると古い話を次々思い出して来ました。
昭和61年5月~6月にかけてアフリカケニアに一ヵ月余行きました。
1986年ですからもうそろそろ40年前の事です。現在の常識とかけ離れた所や現在の公序良俗に反する事が有るかも知れませんがその点はどうぞご容赦ください。
その頃アフリカで大旱魃が有りました。
私はその所謂ボランティアに参加した訳です。
20名余の日本人の若者と共にケニアの田舎に行って小学校を建設するという事業でした。
隊員のメンバーの中で隊長だけがケニア経験者で私が一度海外へ行った事が有り他の隊員はパスポートを始めて取得したというメンバーでした。
当時はそんなに珍しくも無かったです。
隊員は揃いのジャンバーを着ていました。
エアーインディアの安い団体チケットで行きました。
カルカッタにストップオーバーして1泊しマザーテレサの死を待つ家訪問が叶いました。
現在は当然一般訪問は不可能でしょうが当時でも厳しい規制が有りましたが、我々は国際ボランティア団体という事で許可が下りました。
中の様子は物見遊山で無いので割愛しますが、説明を聞いていると正に死を待つ家でした。
これは公開されている事ですので書きますが
「路上で生まれて路上で死んでゆく、戸籍もない人々にせめて死に逝く時は屋根の有る部屋でベッドの上で看取ってあげたい。」
というマザーテレサの思いの具現化です。
その後カルカッタ空港での出来事。
手荷物検査でユニフォーム姿のお上りさん20余名の一行しんがりは隊長。
自ずから先頭は私が務めました。
私たちの前に日本女性OL風の二人組が既に並んでいました。
検査待ちで彼女たちと少し談笑していました。
イザ二人組の荷物検査番です。
一人の荷物が何か検査官の目に引っかかったのか、次々にテーブルの上に出されてゆく、一つ一つ中迄じっくり見る。
そしてこの小袋を開けろという所で止まっていました。
見るからにショーツ入れ下着入れの袋です。
洗う時間なんか無いので着替えた下着はこの袋に入れて有るのです。
それを開けろと検査官は迫ってくる。
ま、今の娘だったらバンバン開けるかとも思いますが、40年程前の大和なでしことしては中々袋を開けれなかった。
ま、現地人だけじゃなくて後ろに日本人の若者達が興味深々でその状況を見つめている。
私が彼女たちに助け舟を出しました。
帰路の様でしたので、お父さんのお土産にお酒買って無いの?
と言うと
シーバス有ります。
と、出して来ました。
このシーバスこの人にあげても良い?
と聞くと
二人声を揃えてどうぞどうぞと言います。
なんて言ったのか覚えてないですが、これ重たいのでここへ置いておきます。
適当に処分してくださいとでも言ったかな?
当時の私の語学力じゃそこ迄は無理か?
ま、快く彼女たちは通過しました。
何を検査官が間違えたのか解りませんがユニフォームを着ていた我々全員ほぼノーチェックで通過しました。
全員荷物検査用のギフトボールペンを現地旅行代理店から渡されていたのに誰もボールペンを出すタイミングが無かった様です。
で、勿論ケニアの入国検査も先頭で行きました。
隊員からの私への信頼も厚く成った事はご想像の通りです。