04-出発-U.S.A.1964-No.4-再録 | maidoの”やたけた”(ブログ版)

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ホンマに行けるんや!

そうこうする内に出発の日、7月12日の日曜日が近づきました。
英語力の無さは十分思い知ったものの、人間追い詰められると、妙に落着くものです。
開き直ってしもて、身体さえ丈夫やったら何とかなるやろ、人食い人種の国に行く訳やなし...。
ジム君の世話は義兄が家族でウチに泊り込んでする事になりました。
それにしても、昼間は仕事で居ませんから、どうなるんでしょうね?
もっとも、私が居たところで、大して言葉が通じるでもなし、あまり変りは無いのです。

短期渡航の外貨割り当ては300ドル(1$=¥360、10万円以上)。
大卒初任給2万円ソコソコの時に、これは大金です。
米国西海岸往復の航空券が40数万円。
他の参加者は7月28日に纏まってバンクーバーに移動して、その後7月31日にシアトルから帰国するので、帰りの航空券の日時が決まってます。
そこを、JTBの課長に頼み込んで、帰りの航空券を向う1年有効のオープンにして貰いました。
(団体割引など無い頃ですから、別行動でも料金は一緒、これは極秘。)
締めて60万円近い費用です。
ダットサン・ブルーバードが買えるほどの大金。
「お前も、親にお金出して貰うて、アメリカに行った言われるのんは嫌やろ。この費用は催促、期限無しで貸したる」さすが我が親、お見通し。
幸い、インフレが進んだから、後半は返すのがかなり楽にはなりましたが、結構返すのには苦労しました。
船員やったり、家庭教師やりながら、やっと返し終わったのが、就職して半年目でした。
親父の弁護では無いのですが、けっしてケチで言っているのではありません。
「一人前に扱うてるぞ」という親父一流の表現。
そう言えば、数え16歳で短刀を渡された時から、小遣いをくれんようになったんも、同じポリシーか?
「別に日本円5万円渡すから、パーカーのボールペン50本買うて来てくれ、
余ったら残りの金で、ロンソンのライターを買えるだけ買うて来てくれ。ちゃんと領収書もって帰ってこいよ」
我が親ながら、ウヤムヤにせんところはエライ。

クラブ派遣の交換学生は全国各地区から集まって、東京の羽田から出発します。
前日に大阪を出発して、東京で一泊しないと集合時間に間に合いません。
さて、そろそろ出かけるか、と親父に「行って来るわ」と声を掛けたら「まぁ、タバコでも一服吸え」と取り出したのは恩賜のタバコ。
日支事変で傷痍軍人になって、勲章と一緒に頂いたものの、今まで取ってあったんですね。
所々茶色のシミが出た、平べったい真っ白な箱に、金の菊の紋章と恩賜の文字。
「へぇ~、有難う」とちょっと神妙になって火を着けたけれど、とてもタバコの味ではありません。
かび臭いモグサの煙見たいなイガラッポイ味がします
さすがに親父も「アカンなぁ、大事にしすぎた..」と苦笑い。
親父の精一杯のはなむけやったんでしょうねぇ。

1964年7月13日(月曜日)、とうとう日本から飛び立つ日になりました。
集合場所に行くと、垢抜けた服装をした、賢そうな顔の若者が沢山いました。
私はといえば、成人式に親父がくれた紺の背広。
学生服以外では唯一の第一種礼装です。
しかし、他に似たような出で立ちの者は皆無。
そろいのブレザーのグループも居ます。
近畿地区交換学生の札があるところに行くと、世話をしてくださる近畿のクラブのメンバーが居て、最終の注意が有りました。
「選ばれた皆さんですから、責任と自覚を持って恥かしくない行動を心掛けてください。日米友好に尽くし、怪我や病気などの事故なく、八月二日には再び元気な皆さんにお会いできる事を願っています。」
(すみません、ご期待を裏切る計画を持っております..。)
次に、お互いの自己紹介、ほとんどが大学生です。
中に1人二十代半ばを越えてるようなお方がいます。
この方は学生ではなく、学校の先生。
お父さんがクラブの会員で、どうしてもアメリカに行きたいと、無理に頼んで参加したそうです。
近畿地区のリーダーだそうです。
「大変なお役目を申し付かりました。皆さんのご協力で、無事責任を果たせるようお願いします」
(ワァ、悪いなぁ、気の毒やなぁ、その責任は果たせませんよ..。)
もう既に夢見心地、頭の中は、ウワ~ホンマや、ホンマにアメリカへ行くんや!とそればかりが駆け回っています。
ビビッテたんは誰や?

皆の移動する後について出発ラウンジへ入りました。
向うの方に見える、日本航空の「空の貴婦人、DC-8」4発最新鋭ジェット機。
これがアメリカに乗せていってくれるのです。
タラップを登っていても、風邪引で熱がある時のように、膝がフワフワしています。
座席はF6、幸運にも翼の前端の窓際です。

此処に座ってたらアメリカへ行ける、というのがまだ信じられません。
10:00羽田を離陸、お隣に座ったのは先ほど見かけたひときわ年長の参加者。
日本航空がくれた旅行英会話の薄い本を出して、せめて少しでも覚えようと読み出しました、泥縄もいいところです。
眩しいような美人のスチュワーデスさんが、キャンディはくれるは、ジュースを持ってきてくれるは、至れり尽せりのサービス。
やがて機内食の昼ご飯。
何となく外国の香りがするような、食べるのが勿体無いくらい上等の食事です。
まだまだ夕方には時間があるのに、あれよあれよと言う間に、機外は薄暗くなって、どうなっているのかと思っていると、15:30には窓の外は日が暮れてしまいました。
「もう直ぐ日付変更線を越えます」とアナウンスで知らされました。

日付変更線!学校で習ったけれど、日常そんなものの存在を意識した事は有りません。
船員をしていても、行く先はせいぜいが台湾、韓国、日付変更線とは全く縁が無い近所廻りばかり。
そうか、国際線の搭乗員というのは、日付変更線が日常生活にシッカリ存在しているんや!格好エエなぁ、と訳の判らん感心をしておりました。
やがて、「只今、日付変更線を越えました」とアナウンスが有あって、スチュワーデスが乗客の一人一人に機長のサインのある、賞状のように立派な「日付変更線を越えた証明書」を配ってくれました。
ずっと座り放しで、大してお腹も空いていないのに、早くも夕食。
昼食よりも格段に豪華!いじましいから全部美味しく頂いて、もう幸せ。
今までの所、英語の必要全くなし。
家で頭が捻じ切れそうになりながら、ジム君のお相手している事に較べたら、天国です。

窓の外には黒に近い濃紺の空に驚くほどの星が見えます。
エンジンの音が変ったと思えば、ベルト着用のサインが出ました。
「まもなくハワイ・ホノルル空港に到着いたします」
ヒャ~、ハワイやて!

紛れも無くアメリカ合衆国の一部です。

2003/02/27:初出
2022/04/10:再録

現実やんか!-U.S.A.64-05
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