2013/08/05 | maidoの”やたけた”(ブログ版)

maidoの”やたけた”(ブログ版)

旧gooブログ記事をアメブロにまとめました

「突然の強い雨や雷の可能性がある、」との予報やけれど、夏の天気はそんなもんや、と今朝は強気で自転車。
今月は今週7~8日にマゴ娘がお泊りに来るんでお仕事は休み、13~15日は会社が夏期休業、と出勤日が少ないんです。
少々降水確率が高かろうが頑張らんと運動量が確保できん、もっとも出発時既に降り出してたら尻尾巻いて電車やけどね。

エンヤラヤァ、と漕ぎ出したらなにやら蒸っとして空気が重たいんですわ。
こういう湿気を含んだ風は力(リキ)があって、ディンギー(帆掛け舟)ならよう走るんやけど、自転車では嬉しゅうないね。
そない大気の状態が不安定そうにも見えんのやけど、そう思わせといて突然ドバッと雨が降るから不安定というんやわなぁ。

妖しい雲の姿も無く、大阪城辺りからは朝の日差しも確り差して、まぁ暑かったですねぇ。
会社について改めて気温チェックしたら、豊中の最低気温27.8℃やったんやて、そら蒸し暑いわ・・・。
この所、会社の自室で座ってるだけでも暑さに疲れてしまうんで、今日からミニ扇風機の登場です。

ホームセンターの安売品で羽根の径が100mm程、もう十年近く使ってるけど、結構頑張って働いてくれてます。
ささやかな風でも、空気が動いているというのは大したもんで、汗の掻きようが大分少ないような気がしますわ。
「心頭滅却すれば、」は大仰でも、暑さ疲れは気分的なもんも多分にあるんで、この「気がする」というのは大事でっせ。

午後、何時ものように南霞町から阿倍野橋へ向って大汗掻きながら上町台に登り、谷町7丁目から上町筋に出ましてね。
そういえば最近寄り道をしてないなぁ、お日さんに焙られてると、そうやB29の墜落場所へ寄ろうと思いついたんです。
私が危うく焙り殺されかけた1945年3月13日夜半から14日未明に掛けての大阪大空襲の時の爆撃機。

母親と逃げ込んだ地下鉄心斎橋駅の北東700m足らずの、南久宝寺町通りと堺筋交差点南側がその場所ですねん。
迎撃した戦闘機の体当たりが致命傷で墜落したんですが、高射砲も当たってたという説も有るんですわ。
その高射砲は難波の高島屋百貨店屋上の秘密高射砲陣地のもんやったとか、色々いわれてますなぁ。
このB29の事は、何れ機会があれば別立てでと企んではいるんですが、料理法が決まらんのですよ。

体当たりした戦闘機は大正飛行場(現・八尾空港)から飛び立った藤本研二曹長の四式戦疾風で、操縦士は生還してます。
藤本操縦士は折角生還していながら、終戦前日の8月14日に琵琶湖上空でP51との空中戦で戦死、戦争は惨いねぇ。

以前記事にしましたが、自宅近くの伊丹飛行場(現・大阪国際空港)には三式戦(飛燕)の戦隊がいました。
攻めて来るB29、迎え撃つ疾風・飛燕、どちらも搭乗員は20代、それも前半の若者が多かったんですなぁ。
私なんぞは、こういう方々のお陰で生き永らえさせて貰いながら、ついついそんな事を忘れてるのが申し訳ない。

当然ながら墜落現場に今は全く何の痕跡も無く、道行く人々の殆どは、こんな所にB29が墜落したのを知らんやろうねぇ。
私は当時、よちよち歩きで、勿論B29の墜落を見たで無し、後からの伝聞による追体験でしかありません。
記憶は無いとはいえ、その時に間違いなくその近辺に居たからか、何の変哲も無い街角でも何かしら胸に応えますわ。

南久宝寺町通りは自転車で走りにくいので1本南の博労町通りで御堂筋へ抜け、梅田新道から鶴野町北、済世会病院前経由。
新高交差点から三国橋、道田橋、天竺川土手を走って帰宅、汗だくのヘロヘロでシャワーを浴びて復活ですわ。
何やらワケのわからんコース取りになってしもたけど、距離は一応稼げたからエエとしと来ます。