船場地区中央大通り貫通の記@船場センタービル | maidoのアメブロ営業所

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船場センタービルは1970年大阪万博直前に完成した、東西は箒屋町筋と渡辺筋のやく1,000m間に建つ、南北へ通る筋で1号館から10号館に分割された商業ビルです。
東西縦貫道路、高速道路、地下鉄中央線の複合工事は建設場所が船場のど真ん中の為、用地買収に難航し、箒屋町筋と渡辺筋、唐物町通と北久太郎町通で囲まれた地域の店舗を収容できるビルを建設し、その上に道路及び鉄道を通すことで決着しました。
(現在の唐物町通、北久太郎町通は拡幅され、夫々中央大通りの東行き、西行き平面道路となって通り名としては消えてしまいました。)
その経緯を書いた銘板はこんな感じに設置されています。9号館北西角に在るんですが、傍を通たとしても、これに気付く人はまず居ないでしょうねぇ。
人目に付きやすい御堂筋側壁面にでも移動して、もっと多くの人に見て貰えるようにすればいいのにと常々思ってます。
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この銘板が上の画像左側のガラスケースに収められています。
イメージ 2

御堂筋越に撮った船場センタービル9号館西端、銘板は北側の通路(黄色の矢印)を数メートル入った北側の壁面に在ります。画面左が梅田(キタ)、右は難波(ミナミ)です。
イメージ 3

大阪市中央区船場中央3 船場センタービル9号館

 

銘板に記されている文章です。

 

 

「中央大通り船場地区貫通の記

 

 

大阪港から都心を貫いて東大坂に至る中央大通(都市計画街路築港深江線)の建設は、戦災復興の最重点事業の一つとして鋭意事業が進められてきたが都心船場地区の貫通は膨大な経費を要するため着手至難な状態にあった。
昭和三十八年四月市長就任直後、これが道路交通上の利便のみならず、都心の再開発を促進する上からも万難を排して早期実現をはかる必要を痛感し、同年六月河野建設大臣を大阪に迎え、太田垣士郎氏杉道助氏ら財界の人たちともに力説、その同意と尽力を得て池田首相をも動かし、幾多曲折を重ねたすえさらに学識経験者の意見をも求めて種々検討した結果、道路中央にビル十棟を建て並べ、その屋上を高速高架道路とし、西側平面道路下に地下鉄を走らせるという世界にも珍しい設計を決定し、四十年から土地の買収に着手したのである。
その後 本事業を万国博覧会の開催決定とともに、その関連事業となり、また地元の人々のよき協力によって千数百軒の店舗の立退きも円滑に進み、万国博開会を前に完成をみたことはまことに喜びにたえない。
ここにその経過を述べて記念とする。

 

 

昭和四十五年三月

 

 

大阪市長 中馬馨」

 

 

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2019/01/03 画像追加