兵部大輔大村益次郎卿殉難報國之碑(終焉の地)1940(昭和十五年)建立
上町筋と西は南久宝寺通、東は玉造稲荷に通じる通りの交わる交差点北西角(国立病院機構大阪医療センター南東角)に在ります。
私の自転車通勤定番コース 沿い在るので毎日この前を行き来しています。
大村益次郎(村田蔵六)は1869年(明治2年)9月4日に京都三条木屋町の定宿で刺客に斬られ重傷を負います。
大阪病院(元浪華仮病院)で治療を受けましたが敗血症を発症、手術で右足を切断しましたが快癒に至らず明治2年11月5日、46歳で永眠。
切断した脚は村田蔵六さんが望んで、師緒方洪庵の墓所(龍海寺:大阪市北区同心1)で洪庵の墓の傍に脚塚を造り埋められました。因みに墓は故郷の長州鋳銭司村(現・山口県山口市鋳銭司)に在ります。
小説「花神」で村田蔵六さんの生涯を>描いた司馬遼太郎さんは、1996年(平成8年) 2月12日にこの碑の在る国立大阪病院(現・国立病院機構大阪医療センター)で 腹部大動脈瘤破裂によって亡くなりました。小節の主人公と作者が同じ病院で亡くなるとは、何か因縁めいたものを感じますねぇ。



建立発起人の方々、さすがに錚々たるお名前が並んでいますねぇ。


大阪市中央区法円坂2-1
上町筋と西は南久宝寺通、東は玉造稲荷に通じる通りの交わる交差点北西角(国立病院機構大阪医療センター南東角)に在ります。
私の自転車通勤定番コース 沿い在るので毎日この前を行き来しています。
大村益次郎(村田蔵六)は1869年(明治2年)9月4日に京都三条木屋町の定宿で刺客に斬られ重傷を負います。
大阪病院(元浪華仮病院)で治療を受けましたが敗血症を発症、手術で右足を切断しましたが快癒に至らず明治2年11月5日、46歳で永眠。
切断した脚は村田蔵六さんが望んで、師緒方洪庵の墓所(龍海寺:大阪市北区同心1)で洪庵の墓の傍に脚塚を造り埋められました。因みに墓は故郷の長州鋳銭司村(現・山口県山口市鋳銭司)に在ります。
小説「花神」で村田蔵六さんの生涯を>描いた司馬遼太郎さんは、1996年(平成8年) 2月12日にこの碑の在る国立大阪病院(現・国立病院機構大阪医療センター)で 腹部大動脈瘤破裂によって亡くなりました。小節の主人公と作者が同じ病院で亡くなるとは、何か因縁めいたものを感じますねぇ。



建立発起人の方々、さすがに錚々たるお名前が並んでいますねぇ。


大阪市中央区法円坂2-1