やっと!やっとです!受給が決まり、認めてもらえました!
障害年金3級12号認定されました!
言われてたよりも倍近い受給額で、これで完全炎も安心して出来そうです。
4月30日に受診して、6月に決まった人工股関節置換手術。
手術から3ヶ月後から障害年金3級の申請可能という事で、本来なら社労士さんに依頼する案件を単独で進める事にしました!
僕は病院の先生方々、看護婦さんや理学療法士さん皆さんに、
『35年前に骨肉腫の診断からの誤診で、変形性股関節症の診断を受け、これまで身体のメンテをしながら生きてきた』と伝えて来ました。
障害年金3級の受給条件は厚生年金を支払ってる年齢である事。
35年前の17歳は未成年なので、厚生年金は支払ってなく、初診日が17歳で認められると支払われない。
ですが、17歳から病院への受診履歴がなく、5年以上経過した場合は、社会的治癒が認められるケースがあるんです。
ですが、この社会的治癒を認められるのは極々稀な事で、、、
その為社労士さんと共同で不服申し立てなどで何年もかけて年金事務所と争う形になります。
病院の先生も事の流れから診断書への初診日は今年の4月30日と記載して下さり、
正直、35年前の17歳の初診日の事を年金事務所に話さなければ、問題なく受給できた状況でした。
ですが僕は35年前からの事、僕自身が生きてきた人生を偽る事はしたくなかった。
なので、全て正直に話しました。
なので年金事務所から再三呼び出され、凄く複雑な申請書を何度も書き換えを依頼されたのです。
年金事務所としては35年前の17歳時点を初診日に設定しなおして、社会的治癒も認めず、障害年金を支払わないようにしたかったようでした。
年金事務所から問われる内容とか言い方とか、ちょっと酷かったですからね、あれは。
で、本来なら受給出来るはずの12月頭に、調査による受給判断遅延の封書が届きました。
僕としては、『これまでの人生を否定するくらいなら受給も諦めよう。』と思っていたので、内容を撤回しなかったです。
年金事務所から、最後に17歳からI年単位での生活環境など記載する依頼が来たので、振り返りながら年表も作成して、再度提出してました。
『これでも社会的治癒が認められないなら、神様の判断なんだろう。でもこの人生をI年単位で振り返られた事は本当に良かった!』と思っていました。
過去の写真や出来事、空手時代や弾き語り時代やバンド活動、神社関係など沢山の人達や出来事との出会い。
『この振り返りが出来たのは今回申請したからこそ振り返れたんだから、もうそうだけで十分幸せを得られたな。』と心から満たされた感覚になってましたから。
で、昨日、受給を認める封書が届いた。
何より自分自身のこれまでの生き様を認められたように思えて、涙が出ました(金額も多いし(笑))
30年前から病院では電子カルテに切り替わり、エビデンスが残ってるらしいですが、僕の様に35年前は紙カルテなので、
病院の規定の保存期間5年過ぎると破棄されるケースが多い。
僕は九大病院だったので、大学病院では紙カルテも残ってる可能性があるという状況だったので年金事務所は探してた。
でも見つから無かったから認めざるをえなかったってことでしょうか。(憶測)
2025年は人生が変わる年と何故かそう感じてた、それがこんな色々な展開があるとはね。
17歳の時に骨肉腫と診断され、死ぬ覚悟をしたあの時、今ではあの経験があったからこそ一生懸命生きてこれたとあの不幸な出来事に今では感謝してます。
今年手術をし、長年苦しんでた痛みから解放され、過去の呪縛からも解放されたように感じてます。
来年は飛躍、駆け出す午年。
新しい人生が始まるのかもしれないなぁ♪
たった一人で申請して、偽らずに自分を信じてて良かった!!!