当社ブログへようこそ、有難うございます。
この版画は帆立葉菜女史により、平成20年頃当店をアレンジして彫られた物です。
銀座での個展の最終日に、持ち寄られ寄贈して頂きました。
ドンジョンは多くの方に支えられ、成長してきた事に感謝しております。
このたびブログを始めたのも、オープン当初よりお世話になっている元雑誌編集長の勧めによるものです。今般の重要なツールを利用する事の必要性を教わりました。
この機会にお客様、お取引様またこれから修理業に進まれる方、更には修行時代ご指導頂いた諸先輩、同僚、後輩の方々に、このマイナーな靴修理を通し、唯一皆様への感謝のお礼として、ほんの少しでも私なりのアナログな仕事の雰囲気をお伝えできれば光栄です。
私は今から22年前、正にバブル崩壊間際にこの業界に足を踏み入れました。京王線沿線の笹塚、桜上水、高幡不動駅、それに井の頭線の下北沢駅に出店していた、シンデレラが修行の始まりでした。本部は渋谷にありウェスタンブーツを販売していましたが、数年前近くを通ったのですが見当たりませんでした。主に桜上水店にいたのですが、店長は元明大前に店舗を構えていた方でしたが、廃業の際声をかけられ桜上水店を任されているという事でした。ミシンを使って靴底を縫い付ける作業が得意で、他業者の委託も盛んでした。店でも底交換受けていましたので、私は専らウェスタンブーツのカカトの土台(積み上げ)を苦労しながら外していたのを覚えています。土台を外す為には靴の中から打ち付けてある強力な釘を10本以上抜かなくてはなりません。筒があり手も入らず、ファスナーも無くそれは大変です。色々工夫しながら内から外からあの手この手で外していくわけです。外せ無いと底交換の作業を始められませんし、奮闘の日々でした。たまには手伝いで高幡不動駅店にも行きましたが、住宅地で都心からも離れている為競合店も無く土、日の忙しさは印象に残っています。店長は元製靴職人で80歳でしたが、元気一杯で見倣うものがありました。しかし製靴職人として生きて行くには、時代の流は早く、厳しかったというのも事実でしょう。これは今の修理業に携わる私たちにも言える事で、時代の先読みは絶対条件でしょう。
実際シンデレラに勤めていたのは半年足らずでした。そしてその後丁度10年間お世話になったスタンショップサービスに入社しました。親会社はスタンダード靴(株)で、DAKS,ヴィバーツェ、スタンデューク、ウォーターウルフのブランドで主に紳士靴で展開していました。戦前は東洋一の靴メーカーで高等学校も併設しており、卒業生はリーガル等へも就職していたそうです。当時高等学校を併設していたのは他に新日鉄位で、規模の大きさを想像できるかと思われます。入社後神田駅から1分の所に店舗兼研修所があり、そこで学校の教官をしておられた戸張氏に1年弱指導を受けました。その後は他に9店舗(キヨスクの看板で上野大階段下、新橋、国立、アトレ内の大森、新浦安、四谷、他に大手町、川崎、東武デパート)ありましたので、各店を回りながらの修行でした。スピード修理、もしくは当日渡しですので段取り、効率を徹底して仕込まれました。最終勤務店は新橋店でした。銀座線と浅草線の連絡通路に位置し、当時銀座線改札のミスターミニットさんと競っていました。3坪足らずで月商1,000万以上売り上げる分けですから、チームワークは基より、正に一言で言えばリズムですね!今日駒沢に工房開いて一人でやっていますが、スピードでは誰にも負けませんよ。殆どお預かり修理ですが、ミスは許されません。
まず、じっくり色々な修理方法を頭で検証、そして仕上がりがイメージ出来れば後はスピード、リズムで一気に仕上げます。最短、シンプルな方法で作業する様心掛けております。これはスタンショップサービスでスピード修理を経験した事により、身についたものであり、とても感謝しております。
将来ドンジョンはどうなっているでしょうか。大きくなれなかったら消滅してしまうでしうね。間違いなく!煙草屋、酒屋さんも無くなってしまいました。中途半端はだめですね。ドーンと大きくならないと生き残れないと思います。イオン系のリアットさんが積極ですね。修理内容よりも、資金力です。あの有名料理店のなだ万ですら資金力不足でアサヒさんに頼らなければならない様な時代です。一人でコツコツという時代はおわりました。これから独立される方は最初からドーンと大きな会社を作って経営される事を望みます。これが10年一人でコツコツやってきた私の結論です。
松浦
