なんであああいう奴らはなんの疑いもなく自分が受け入れられるって思うんだろうね。だってさぁ、あいつらが先にうちらのことオタクで気持ち悪いって言って馬鹿にしてハブにしたじゃん。だから、さぁ、うちらのグループだけで楽しくやっていたらさぁ、ころっと手のひら返してうちらのところに寄ってくるじゃん。なんかさぁムカつくからあいつらシャットアウトしたらさぁ、すげー怒るじゃん、先に蹴られたから蹴りかえしたらさぁ、最終的にはクラスメイトだけど友達じゃないとか言ってくるし、マジムカつくじゃん。

ブリーチで脱色した髪を指でいじるマサミの話にあだち充の「タッチ」を読みながら私は相づちを打つ。マンガのなかでは青春真っ盛り。恋に友情に部活に勉強、すべてがキラキラと光っている。それに比べてウチラの青春ってなに?って感じ。学校なんてタルイし、めんどくさい、勉強だけしてりゃよくねぇ?まだ、このときはウザいって便利な言葉がなく、私たちはひたすらにタルイだの、ダルイだの言っていた。

うちのクラスのグループは私たちマンガ好きのオタク系女子と容姿がきれいで見た目も派手な女子グループと男女混合のグループとおとなしい男子グループの4つに分類されていた。でも、そのグループ内でも仲良しこよしって感じではなく、容姿が美しいグループの子たちはお互いの容姿を褒め合って気を使いあっているし、男女混合グループはどうやら一人の男子を女子がとり合ったりしているらしく、恋愛的にはドロドロらしい。付き合っているカップルもいたけど、ラブラブな感じを通り越して老夫婦みたいにただ一緒にいるだけって感じだった。おとなしい男子グループは幼く小学生みたいなゲームをして遊んでいた。

そこに別冊マーガレットを持ってマリマリがやってきた。「ねぇ、見て!!アッシュ死んだ!!」それは19年間も連載が続いたバナナフィッシュの最終回で、アッシュが図書館で机に突っ伏しているシーンが描かれていた。それをうちらのグループは回し読みしてアッシュ死んだ!アッシュ死んだ!って騒いでいた。私はアッシュと英二のようなソウルフレンドに憧れていた。未だにそんな存在とは出会ったことないけど。

私たち世代はのちにロストジェネレーションと呼ばれ、就職氷河期を経験する世代だ。このころは、阪神、淡路大震災も、地下鉄サリン事件も起きていない。ワイドショーでは、梅宮アンナと羽賀けんじのペアヌードが話題になっていたのどかな時代だった。ルーズソックスははいていたけど、足首らへんがちょっとしわしわになっている程度で、スーパールーズへと進化するのはもっと後の話。コギャルなんて言葉はちらほらマスコミに出回っていたけど、安室奈美恵も、浜崎あゆみもまだデビューしていないし、めちゃイケもまだ始まっていない。

通学のときウォークマンでよく聞いていたのは、ジュディアンドマリーの「power of love」だった。出だしの「ひとりぼっちのこの街でひっそりと息をしている。上等な青空裏腹にまるで死んだ小鳥のようよー」って歌詞があのころの私そのもので、繰り返し聞いていた。テレビでは、初めて買ったCDはなに?なんて会話が定番で、そんなに初めて買ったCDって重要なのかぁーと思った。だから、私が初めて買ったCDはジュディマリのデビューアルバムに決めた。初めてとデビューが重なってちょうどいいやと思って買った。その前から、兄のレベッカのCDをこっそりと聞いていたりしたから、女性ボーカルのバンドがとにかく好きだった。でも、ジュディマリが本格的にブレイクするのは私が高校卒業した後で、デビューアルバムにも入っていた「blue tears」がめちゃイケのテーマソングになったころにはジュディマリの曲はほとんど聞かなくなっていた。だって、もうハイスクールガールじゃないんだもん。

兄がお前もアムラーだったんじゃないか?なんて聞いてきたから、ガングロコギャルファッションは安室奈美恵から派生したもんじゃなく、それ以前からそんなようなストリートファッションは流行っていた。安室奈美恵は後付けでコギャルたちのファッションアイコンになったんだよって言ったら変な顔していた。もう、立派なおっさんの兄にはついていけない話題だった。

あのころの私は反抗期というか、恰好こそヤンキーではなかったけど、心の中ではかなりグレていた。嫌な奴になってやろうと思っていた。掃除さぼったり、体育祭をずる休みして映画見にいったりしていた。そのとき、見た映画は確か、ホームアローンで有名になったマコーレカルキン主演の映画でカルキンがとんでもないサイコパスな少年を演じていたやつだったな。

マサミがそろそろチャイム鳴るよって言ってきたから自分の席に戻った。次の授業は英語だった。ウチの学校は帰国子女を受け入れている学校でネイティブに英語が話せる子がいた。その子たちが学校で教わる英語は難しすぎて普段の会話では使わないよって聞いてから、英語を勉強するのがすっかり嫌になっていた。これ意味なくねぇ?って思っていたら成績もガタ落ちで2になった。あやうく卒業できないほどだった。教師のカタカナ発音の英会話を聞いているうちにああ、早く大人になりたいなというか、もう、いっそのことおばさんになりたい。オバタリアンになって我が物顔で若い子をいじめてやりたいとか思っていた。青春なんて中途半端な時代をすっ飛ばしたい。青春ってそんなに美しいもんなの?憂鬱で痛くて恥ずかしいのが青春だ。早くこんなところ卒業したい。ドロップアウトしたってかまわないと思っていた。

「聲のかたち」ってアニメ映画を観たときわかるーって思った。主人公の少年が周りの人間の顔に×印がついて見えてしまう。私もそんな青春だった。まあ、私の場合自分の顔にも×印つけていたけど。そんな自分が大嫌いだったけど、どうしようもなかった。どうしていいのかわからなかった。でも、後悔しているわけではない。私にはそれがせいいっぱいだった。

高校二年になり、夏休み明けにクラスメイトの男子がバイクで事故って死んだ。彼の葬式のとき、彼の中学時代の知り合いの女子は泣いていた。私はというとなんか唐突なこと過ぎて不謹慎にも暗い笑みを浮かべてしまった。同じクラスとは言え、しゃべったこともないし、なんか泣くのも場違いな気がしてしまったから。泣きもしないクラスメイトの私たちを中学時代の知り合いたちはいら立ちの目で見ているのを覚えている。

後日、彼の両親がウチのクラスに来た。息子の最後の様子を知りたかったのだろう。運悪く一番前の席だった私は父親と目があってしまった。後ろの方は彼の両親が来ているのに騒いだままで、それに両親たちはショックを受けているようだった。両親にとっては唯一無二の息子である。それがこんな環境でいたのかと憤りを通り越して悲しかったに違いない。父親の憔悴しきった顔を見たとき、私は耐えられなくなって下を向いて泣いた。他にも、泣いていたクラスメイトはいたかもしれない。でも、私にはわからない。ただ、私が本格的に泣き崩れそうになる前に父親たちは帰っていった。一人でも息子のために泣いてくれる生徒がいたことが救いになったのかもしれない。

秋になり、文化祭の季節になった。仲の悪いクラスだったため、案の定文化祭の準備なんて進まない。一人の男子がこう言っていた。「俺だって、あいつの死がショックで文化祭なんて気分じゃないねぇよ」私はそれなら彼の死を鎮魂するようなことを文化祭ですればいいのに、そういう発想はないんだねと思った。彼だって短い生涯だったろうけど、いろんな思い出があったはずだし、それをスライドショーかなんかにしたらご両親も喜ぶんじゃないのかなと。そしたら、このクラスは団結することができたかもしれない。でも、私は何も言わなかった。もし、それをやるなら勇気がいるし、そうとうの覚悟と情熱が必要になる。その時の私にはそんな気力がなかった。そのときに私もクラスメイトの顔に×がついた。言い出さなかった自分も同じ穴のムジナである。私も私自身に×印をつけた。世界のすべてに興味がわかなくなり、自分自身もただの木偶の坊になり、ただただ時が過ぎるのを待つだけの存在になった。

高校生のころ、もう一つ印象的な死があった。それは小学生のころのクラスメイトの女子の死だった。彼女は小学生当時いじめられていた。彼女は霊感があるらしくときどきエキセントリックなことを言ったりする。それが、男子には気に入らないらしく、馬鹿にされていた。いじめはとうとうエスカレートし、彼女の名のついた○○菌なるものができ、彼女の持ち物を触るとその菌がつき、早く他の人間につけないと汚いとされていた。まあ、そういうルールの鬼ごっこ、遊びの延長みたいのが流行った。彼女は自分がばい菌扱いされたため傷つき学校に来なくなった。彼女の両親とその当時の担任の先生と話し合いが持たれたのだろう。彼女は再び学校に来た。そして、先生が立てた対策とはというとそれは先生指定で班を組まされた。私はどんな班にさせられたというとそのいじめられっ子の彼女と、もう一人いじめられっ子の男子と、おとなしい男子と私という四人の班になった。要するに私はいじめられっこを押し付けられたのである。私は自分で言うのもなんだが、おとなしそうで従順そうで優しそうに見える。だから、いじめられっ子を直接攻撃しないと思われただろう。確かに私は彼らをいじめなかったし、普通に話しかけていた。勝気な男子の一人にあんな奴ら無視しちゃえばいいじゃんと言われたけど、無視しなかった。そんなことをしたら彼らの居場所がなくなってしまうと思ったから。当時の私は幼いゆえに純粋でお人よしだった。

そして、しばらくの月日が流れた。私はある日クラスメイトの女子二人に話しかけられた。そのいじめられっ子の彼女と自分たちは仲良くさせてもらっていますって言ってきた。えっ?っていうか、あんたたちもいじめていたじゃん。そこから、潮目が変わってきて、いじめは終息していった。小学校を卒業まじかに先生がアンケートを作った。それは、クラスメイト一人一人の長所と短所を書くというものだった。

なぜか、そのアンケートが教卓に置きっぱなしになっていた。それをクラスの男子がめざとく見つけて、全員分を読んでいた。私の短所の欄は空欄にしている生徒が多かったけど、数人が鈍くさいと書いていた。それは自他ともに認める性格なので書かれてしょうがないかと思った。一人の男子が騒ぎ出した。「こいつ自分の欄、空欄にしているからあいつが書いたんじゃねぇ」それはいじめられっ子の女子のことだった。そして、その子は私の長所に優しいと書いていた。それを読んで私はちっとも優しくなんかない。優しいなんて都合がいい人間って意味だ。彼女のいじめが終息していったとき、「こいつ、とうとう自分で戦わなかった。自分のことなのに、抗おうとしなかった。」と思った。私が無視しなかったおかげという気持ちもあったけど、ただ、周りの生徒たちもそこまで悪い子がいなかっただけという気持ちもあった。周りに恵まれただけだと思った。自分で能動的に道を切り開こうとしなかった。私はいじめが終息していったとき、初めて彼女を軽蔑した。

そして、彼女は高校生になって死んだ。自殺ではなかった。小学生の時、しょっちゅう体育を休んでいたけど、周りのみんなはもともとの平熱が高いから微熱があると言って、休んでるんじゃねぇ?とか、いや、水銀の体温計は服でこすればあっという間に温度を上げることができるんだよってやって見せた子もいた。仮病を使っていると思っていたけど、どうやら本当に体が弱かったらしい。彼女の葬式にはそこいらじゅうのいじめられっ子を集めたような、見た目がなんだか気持ち悪い少女たちがより集まって泣いていた。それを見て、あれなんなの?なんか気持ち悪いねって口々に言われていた。その中にもう一つ話題に上がっていたのは、そのいじめられっ子を主犯格級にいじめていた男子の名前だった。あいつあんなにいじめていたのに今どういう気持ちでいるんだろ。今日来てないらしいじゃん。その主犯格の男子と私は中学の2年と3年のとき、同じクラスだった。今から思えば私はいじめられっ子といじめっ子、両方押し付けられていたのだ。

その主犯格の男子は中二のころ、クラスの男子を牛耳って根性焼きをやらせていた。腕にまだらのやけどだらけの男子がいっぱいいた。ときには男子をあおって女子に告白させたりしていた。渡り鳥ように彼を中心に三角形の隊列ができていて風を切るように歩いていた。今でいうところのスクールカーストの頂点にいるような存在だった。

って馬鹿らしいと私はその当時から思っていた。どうせ周りの男子は自分で考えなくていいから彼を上に見ているだけだし、彼は確かに運動神経がずば抜けてよく、イケメンって言われればイケメンだったし、ドSで気が強かったから、女子にモテた。私はどこがいいんだかって思っていたけど。

まあ、ある日ちょっとしたいたずらで椅子にチョークの粉をつけて本人のわからないように制服を汚すというのが流行った。私はそのドS野郎の椅子のふちにわからないようにチョークの白い粉をいっぱいつけてやった。そしたら、翌日、誰かチクったらしく、彼は自分の椅子を足蹴にしていた。私はそんなにそいつのことが怖いのかね?そんなに支配されたいのかなと思った。それなら、私がやったこともバレているだろう、なんか言ってきたら、別にケガするようなイタズラじゃないし、そんなことで怒るなんて人間の器が小さいねぇーくらい言ってやろうと身構えていたけど、なにも言われなかった。

彼が私になにか攻撃してきたら、椅子で頭かち割ってやろうくらいは思っていた。あいつ一人仕留めりゃいいんだろうと。それならか弱い私でもいくらでもチャンスがあるしね。相手がドン引きするくらいぶん殴ってやろうと思っていた。いじめが怖くて中学生をやってられるかってね。

なんて、そうは思う一方、彼は空気が読めるいじめっ子であった。小学生のころもよく、彼と同じクラスになったし、彼は相手が本気で怒る手前で引く。そういう場面を何回も見たことがある。彼は中学の三年になるとえらく真面目になり、体育祭のリーダーをしていた。二年のころほど、求心力はなかった。やっぱり、人間ってネガティブなことの方に心惹かれるものだなと思った。まあ、集団行動が嫌いな私はおざなりに応援練習していると彼に「お前、もっと真面目にやれよ」って正論で怒られたけどね。

私ってさぁ、なんかもめ事が起きるとどうしたらいい?ってよく聞かれるんだよね。もう、それはじゃんけんで決めなよとか、順番にやればいいじゃんとか言っていたな。なんか集団が暴走し始める前に止める係?みたいな立場になっちゃうんだよね。なんでかなぁなんて思うと原体験のせいかな?なんて思う。

私は物心ついたとき、近所にいる子は男の子ばっかりで女の子は私ひとりって状況が多かった。だいたい、そういう子って男勝りで男の子ように遊んでいたとか聞くじゃん。でも、私って気は弱いし、力も弱いし、鈍くさいし、男勝りって性格ではなかった。なのになんか知らないけど周りは男の子ばかりいた。私を仲間いれておくと男の子たちは遊びでビリッケツになることはないし、もちろん、ビリッケツは私。近所の家にボールを当ててしまっても、女の子の私がいると強く怒られないし、いろいろと便利がよかった。私はというと一人でいると悪い大人に何かされる可能性があるし、男の子の集団の中で一人勝手におままごとしているような子供だった。お互いに利害関係が一致していた。

私だけ女の子なので、運動神経が悪くても女の子だからいいんだよって優しい男の子たちは言ってくれた。当時の私はそれを言われるたんびに悔しいと思っていたけどね。すげー、負けるわりには負けず嫌いだった。

男の子同士って意地っ張りで後に引けなくなって危ない遊びをするときない?だんだん遊びがエスカレートして大けがしそうな危ないことをしだす。そのとき、気の弱い女の子の私だけがそんなこと怖くてできないとヘタレなことが言えるのだ。最初は本当にそう思って言っていたけど、「オレ、これできるぅ!!」と言ってけがしそうになると私は空気読んで、そんなことしてもかっこよくもなんともないからやめておきなって言うようになった。そしたら、その男の子も「お前がそこまで言うならやめてやるよ」って言ってしかたなくやめるんだよね。それを周りが見て、ホッとするの。そんなんなら、誰か他のやつが止めてやれよ。なんて思うんだよね。なんかこの人たちめんどくさいよね。だからさぁ、一回止めなかったことがあるの。そしたら、案の定大けがして、そのときやっぱり私が止めておけばよかったのかな?と思ったこともあるよ。

その後、ちょっと都会の小学校に引っ越すんだけど、そこは女の子はサバサバしてるし、男の子はほっといても危ない遊びをする前にやめるし、よかったと思った。そのときに確かドSの彼も同じクラスにいたな。

高校生の頃に、一冊の本と図書館で出会った。デイビッド・マレルの「蛍」という小説ね。病気で息子を亡くした父親が過去に戻り、息子を救う話。父親は渾身の力で息子を救う話をフィクションとして書く。書いても死んだ息子は生き返ることはないけど。でも、父親は悲しみを乗り越え、これからも父親として生きるために物語を書いたんだよね。その嘘は彼に生きる実感を与え、嘘ではなく本当の体験となったと書いている。

演劇療法の授業を受けたことがある。実際には天気が悪くて見えなかった富士山を、実際には撮れなかった京都で舞妓の恰好をした娘との家族写真を、演劇療法のなかでは、富士山を見えたことにし、写真も撮ったことにして演じる。起こってしまった事実は絶対に変わらないけど、演じることによって心が癒されるという療法ね。

そして、今コロナに怯えながら家でテレビを見ている。画面には京都アニメーションのニュースが流れている。京都アニメーションの作品は聲のかたちしか見たことがないけど、京アニの人たちはこの物語の力がある作品を作れる人々だったんじゃないかな。厳しい現実を洗い流す作用を持つ作品を数多く作っている。だから、世界中にファンがいるんじゃないかな。あの犯人は恨みがあったと言っていたけど、私には強烈な皮肉にしか見えない。生きるために物語を作るのだ。なぜ、たくさんの人を殺す?本末転倒も甚だしい。彼は学園ものを書いていたらしいけど、どんな話を書いていたんだろ?私には理解できない。

ただ、彼は私と同世代だ。私たちの世代は達成感を大変感じにくい世代だ。戦後のマイナスから頑張れば頑張るほど、世の中が豊かになっていく高度成長期世代と違って私たちは子どもの頃がバブルでかなりプラスから人生が始まっている。子どものころが頂点で後は下り坂。そんな人生を一発逆転で変えるなんて至難の技だ。彼は名声が欲しかったのか、はたまた印税か、自己承認が欲しかったのかわからないけど、物語はときに被害妄想に変わりやすい。そこが諸刃の剣であることを私たちは肝に銘じなければならないよね。

社会は時に人を弾く。弾かれないように一生懸命しがみつかないといけない。それが普通に生きるということだ。普通の仲間に入りたくて一生懸命に頑張った私だけど、排除されて、開き直って私、普通じゃない特別な人だからとか言うと後出しじゃんけんで、自分も特別だと言ってくる人がいる。今度は普通が追いかけてくるんだよね。特別な才能がない限り、特別にはなれないし、弾かれた人間は努力が足りないとみなされて、自己責任とか言われる。

RCサクセションのトランジスタラジオに出てくる少年みたいな子に淡い片思いをするくらいの甘酸っぱい青春を送りたかったかなと今では思うよ。過去は変えることはできないけどね。あくまで私が主観の物語。他の人が見たら、あのときはそうじゃなかったとか思うかもしれないけど、人の数だけ物語があるからね。

ああ、お母さんが私を呼んでいる。えっ?泥棒が家の中に入って悪さしてるって。なにが盗られたの?靴下が片いっぽなくなったって。ここの洗濯カゴの中にあるのは違うの?ああ、こんなところに隠れていたって。はいはいわかったから。そうねー、お母さん。こう見えて私もいろいろ忙しいんで。このへんでお終い。