東日本大震災から4年。
今も避難の続く日々に適切な振り返りの機会など有り様もないのですが、世界中が祈る機会として今日があるのかもしれません。
大切な人を亡くしてからの立ち直りには大きな個人差があります。大切な思い出、場所も同じです。
私は時間のかかるタイプですが、それを誰かに笑われたり謗られたりするのはおかしなことだと思います。
子どもたちに今後どのように伝えていくか。
戦争のことや、他の大きな自然災害についても同じですが、語り継ぐことは難しいです。
だからといって、安易に映像に頼るのはやめるべきです。
映像は言葉よりもありのままを伝えられる…という人もいますが、それは本人が内容を十分予測可能で、ある種覚悟を出来る場合の有効性でしょう。
子どもに津波や地震の映像を安易に見せるべきではありません。ニュース番組なども同じです。見る時間の長さの問題ではありません。
また、映像はもちろん、話して聞かせる場合にも無闇に感想を求めるべきではありません。
子どもの話に単純に否定することにも慎重であるべきです。
例えば…
津波ってすごいね!それでたくさんの人が死んだんでしょ?
というような言い方をする子は少なくありません。
大人からすると、そんな言い方しなくても…と思うかもしれませんが、単に人から聞いたことを言い直しているに過ぎないことしばしば。
そうね。大変なことだったと私も思う。
というように、静かに受け止め、自分の気持ちは「私は」というようにアイ・メッセージで話しましょう。
どうしてそんな言い方するの!と怒鳴らないように。
ほとんどの場合、子どもに悪意はないのですから。
体験した子どもも、映像などを通して見るという体験をした子どもも、いろんな子がいます。
感情表出の不得手な子は当然多いです。
子どもは無邪気で…と、大人の心を照らす役割を押し付けず、子どもには子どもなりの思いが様々あることへの想像力を持って、子どもに寄り添うこと。それこそが子育てです。
震災の事実は、単に知識としてインプットするようなものではありません。
もしも、今、子どもがその話を避けたがるならば、焦らない方がいいのです。特に小学生よりも小さな子どもには、それでいいと思いませんか?中高生でも、今辛いなら、将来落ち着いて震災のことに向き合える大人になって欲しい、と伝えるだけでもいいのでは。
大人だって個人差があるものです。
まだ震災の話をするの?などという心無い人は話にもなりませんが、あの日停電する街中を歩いたことを思い出すだけで震えが止まらない人もいます。
人それぞれということを理解しましょう。
今日こそ、ノーメディア・デーにした方が、子育て家庭にはいいかもしれませんね。