一方通行の教育というものに疑問があると、どんぐり方式との相性がいい、気がする。

見守る、の先には、実は対話が待っているからだ。

絵が変わるんだよね、と今まで表現していたのは、そのことで、絵に対話を感じるようになる。

本当は、チョーク&トークの授業だって、少しずつ対話が始まるのが理想なんじゃないか。

わからなさ、の良さは、対話が生まれることにあるんじゃないか。だから、いい仕事が進む現場は、わからないねぇと自然に発言出来る場だったりする。そして、わからなさをみんなで解消していく過程が仕事を仕上げていく。

それを、意図的に義務教育レベルの内容の学習に組み込んだら面白いなぁと考えている。

問題は、今の学校教育の影響を強く受けている子どもは、なかなかわからなさを口に出来なくされているということ。そして、それは大問題だ。(アメリカの大学は発言しないと単位出ないが、日本の多くの大学ではそんなことはないので、修正される機会がない。コミュニケーション能力開発を本気でするなら、学校教育変えないとね…。)

プロジェクト・ベース学習との相性は良さそう。でも実施している学校が少数過ぎ。

記憶力競争にだいじな子ども時代を回収されてしまう社会を変えられたら、それが一番いいのだけれど。とりあえず、同じ思いがある大人と子どもに寄り添った教育をしたいんだよねー…と、その方法をあれこれ考えている。


そしたら、驚くほど具合が悪くなっちゃって、びっくり。根を詰めて考えるにも、体力だいじだ。ふぅ。