遺伝子構造の研究者、生田哲の『脳にいいこと・

悪いこと』(サイエンス・アイ新書 2012)に、い

わゆる早期教育の危険性について、子どもへのテレ

ビの害と合わせて記されている。


 「学習には適切な時期がある」からだ。
 「3歳児神話」に縛られたために、「子どもの才能

を育てるには3歳までが勝負などと誤解してしまった

よう」だが、「早期教育は子どもの脳の健全な発達

を妨げる心配がある。」としている。
 そして、「臨界期にどんな人物、学問、主義、宗

教に接するかは、その人の脳に多大な影響を与える

ことになる。場合によっては、その人のものの考え

方を決定するほど強烈なことさえある。強い個性を

もった人格や理想主義に接すると、その人格やその

主義にひかれることがある。そのために、誤った思

想や危険な宗教を正しいと信じ込み、のめり込んで

しまう恐ろしさもある。いわゆる洗脳(マインドコ

ントロール)された状態である。」という。

 さて、生田の言い分に私もおおむね賛成なのだが

、「臨界期」がいつなのかについての記載のあいま

いさが気になって、そのせいで何だか腑に落ちない文になっているのは残念



 視覚の臨界期――「資格は誕生後10年ほどかけて

徐々に完成するが、とくに3歳までの視覚刺激が決定

的である。」については、異存ない。医学書等でも

これまでにも目にしてきた。

 が、それに続く「脳」の発達について、「幼児か

らの学校教育や家庭教育を積み重ねることによって

、脳の神経細胞が発達し、シナプスがつくられる。

そして軸索というケーブルが髄鞘化されることで、

情報の伝わる速度が高まる。こうして脳が効率よく

はたらくようになり、完成に近づくと、抽象的で高

度なことも理解できるようになる。これが10代の末

のころである。」としているが、これは一側面しか

表現していない。(おそらく意図的にだろう。)


 子どもたちが賢くなるのが教育を受けたからだ、

とすると、教育システムとしての学校がなかった時

代の人間の発達がどこからやってきたのか説明がつ

かない。私たちはうっかりすると、現代に近づくほ

ど人間が賢くなり文明が大きく発展したと思い違い

をしてしまうが、無力な人一人ひとりの力を合わせ

、コミュニティを形成して…というはるか昔の人々

の方が今よりも余程、実践智を重ねて生きていたは

ずだ。だからこそ、人の脳の成長の原点を見出せると私は思う。


 それはさておき、幼少期にどのように近親者と接

するかはとても大切なことだ…ということは間違い

ない。
 かの夏目漱石はわざわざ説明するまでもなく賢く

才能豊かな人物であったが、パラノイア的な神経症

を患っていた。そして、その原因は幼少期を複雑な

家庭環境で過ごさざるを得ず、保護者との愛着形成

が出来なかったからだと指摘されている。(吉本隆

明『夏目漱石を読む』などに詳しい。)

 
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ここで、人が賢く育つということは、そんなにも大切なのか?
改めて考えてみたい。
私は、本来的な賢さであれば一定の価値はあるだろうとしか
言い得ないが、それでは学校でいい成績が取れる程度の賢さは?
というと、大いに疑問を感じる。

学校が評価できるのは、その人の全てではないのだ。

そして、人が生きるという行為を思うとき、やはり本人の感じる
幸福観を越える価値観はないような気がする。

もちろん、それは人それぞれの価値観でいいわけだが、少なくとも
私は自分の子が日々幸せであるよう願わずにはいられないし、
教室の子どもたちにだって、成績アップよりも自己肯定感アップに
関与していたいなぁと思う。

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