どんぐり方式では、

すぐに 「わからない」と言わない

という風に指導していますよね。

私も、そうしてきました。
いや、実は元々、かなり昔からそう言ってきました。
子ども時代、同級生に教えているときから。わからないなら、考えようよ…と。

でもね…

すぐにわからない!って言う子どもは多いんですよ。
それを、言うな!って言っても表面的な行動しか変わらないのでは?という気がして。
もっと根本的なところで、何とか出来ないもんかなぁと考えていたのです。

そのために、他の先生が子どもとやり取りするときなど、ずっと観察していたんです。子どもといっても、幼児から大学生、そして、若い人たちに至るまで。

結果、やっぱり、わからないと言うと瞬時に考える機会を取り上げてしまう指導者が圧倒的に多い。ハイッ、じゃー、教えますよ~!というかんじ。子どもの年齢が上がると、少し考えるかのような間を置いてから分かりません、と言うことがあるけれど、そういうときに、あー…あんまり考えても仕方ないからっ、なーんて言う指導者もいらっしゃいましたね。


では、わからない、という言葉を取り上げていいのか?と考えてみると、それは違う。

特に小さな子どもが わからない、と言えるようなクラス作りを心がけていらっしゃる様子を拝見すると、その言葉に至るまで、子どもが何を見てどう行動してきたか…なんてことをつぶさに観察していて、あぁこれだよね~と感心。子どもなりに考えてきた軌跡があるわけで。すぐに言うといっても、子どもなりの時間の流れがあるわけで。

そして、これを確実に全員にしようと思うと、家庭が一番なのかな…と。もちろん、学校でもそうだったら最高だけど。現在、多くの学校は貧弱な体制にあり、教員にそれを望むのは無茶な気が。

子どもから考える機会を奪わずに、かつ、わからないよぉと素直に口に出来る、そういうところで学べたら、そりゃあ楽しいに決まってるよね。