いつも読んで下さりありがとうございます照れ






仕事復帰してからというもの、体力的な問題なのか疲れが取れなくて。休みの日も早寝早起きを心掛けていても隙間時間にウトウト・・・20代の頃って疲れ知らずで、夜勤明けで別のバイトの夜勤入りとかやっていたんたけどな←体力オバケ





という訳で本日は休みでしたが、週末連勤だった疲れを取り戻すかのようにほぼ一日ソファでのんびりしていました。たまには必要な時間だねコーヒー





復帰してまだ1週間だし、私は今年で53歳になりますので年齢的なものもあります。が、病気のせいかも・・・との思いも否めません。





最初は49歳の夏。朝お弁当を作れなかったのでコンビニで麺類を買い、お昼に食べた時です。割り箸ってこんなに使いにくかったっけ・・・?と変な違和感を感じました。





数日後、電話中に後ほど折り返すのでと担当者の氏名と電話番号を尋ねてメモを取っていた時。文字や数字が塗りつぶしになってしまい・・・今までみたく大きな文字が書けない。3と5と6と8が難しい。何で? メモ用紙が小さかったからかな?気のせいだと。まさか自分がと。深く追求しませんでした。だってそれだけだったから。






右手の違和感が拭えないまま1年。お箸がたまに下手くそだったり、丸みのある数字が下手くそだったり。枠に対して書く文字が異常小さくなってしまったり。そこに加えてフォークでパスタをくるくる巻き付けるのも難しいし、小さなボタンかけや細い紐をほどく事など、少しずつ出来ないことか増えてきて。





喘息で10年以上診て頂いている総合病院の呼吸器内科の主治医にその話をしたら「1年前から?何で早く言わないの!」と怒られ、その場で神経内科医に直接電話をしてくれ、あっという間に診療予約を取ってくれました。A先生ありがとうございます。





神経内科医はめっちゃカッコイイ女性でした。初診は1時間位かけてじっくり診て頂きました。それから1ヶ月かけて様々な検査を行いましたが「これ以上この病院では検査に限界があるので」と、大学病院を紹介されました。





紹介されたT大学病院ではM先生(男性)が主治医となりました。実は初診の予約を取った日は一昨年11月でしたが、直前に父が急変し逝去したので日程を変更。12月中旬が初診日になりました。





診療情報提供書を読み、問診や診察、様々なテストを繰り返した後、M先生は「できれば早急に検査をしたい。年明け早々に予約入れたいのですが、ご予定は如何ですか?」と穏やかに、でもどこか重々しく言いました。1/10に検査、1/13に診察(結果を聞く)で予約を入れました。





私が受けた検査は心筋シンチグラフィ検査(心臓核医学検査)というものでした。検査自体は放射性医薬品を注射→撮影→待ち(3時間だったかな?)→撮影と、待ち時間が長く朝から午後までかかりました。





そして3日後の1/13に結果を聞きに行きました。M先生はゆっくり話し始め「先日の検査結果で、今まで『疑い』が付いていた病名から疑いが消えました。でんすけさんの病名はパーキンソン病です」






大学病院の脳神経内科を紹介された時点である程度覚悟はしていたつもりでしたが、蓋を開けてみたら全く覚悟が出来ていませんでした。





口を開けば涙がぽろぽろ。頭の中にモヤがかかって先生の話も入って来ないし、ずっと混乱してるし。理解したいのに意味がわからない。






私がパーキンソン病?   何故?





神経内科の病棟で10年以上働き、沢山のパーキンソン病患者さんに携わってきました。どんなに頑張っても治る事がない進行性の難病である事、そして予後がどうなるか・・・イヤと言う程見て(看て)きました。





多くの患者さんが闘っていた辛い予後を、これから自分が辿るなんて。まさに悪い夢を見ているかのようでした。受け止めきれず泣くばかり。





がん患者は癌サバイバーと名乗る方もいらっしゃいますが、難病患者は闘う術が無いんですよ。





まさに絶望。目の前が真っ暗、思考は停止。5年後や10年後は看護師として働けないかもしれないし、誰かの手を借りないと生きていけないのかもしれない。





泣き続ける私の様子を見ながらM先生は言葉を選びながら少しずつ話してくれました。発症年齢が若いので効果的かもしれない新薬がある事、疾患の進行は止められないけど緩やかに出来る可能性がある事。そして、






「僕だって1年後健康に生きているかなんてどこにも保証は無いですよ。もしかしたら事故に遭うかもしれないし、寝たきりの病気をしているかもしれないし。今日以降の未来がどうなるかなんて、誰にもわからないんです」





「将来への不安はあるかもしれませんが、でんすけさんのQOLを上げていけるように、一緒に頑張ってみませんか?」






先生に渡された(貸してもらった)ティッシュの箱を抱えてまたもや涙ナミダ・・・(>_<。)






あれから1年。






途中、臼蓋形成不全からの変形性股関節症の悪化で手術を受けることとなり、M先生にその件を話したところ「僕は手術に賛成ですよ。でんすけさんの生活の、人生の質を上げていきましょう」と、優しく背中を押してくれました。





先日1/12にM先生の診察があり受診しました。片松葉杖姿でドアを開けた私を見て、慌てて診察室から出て来て「先に言ってよー、ごめんねー」とドアを押さえてくれたり、座りやすいように椅子を寄せてくれたり。先生、ありがとう♡





入院中に中止していた薬の件。リハビリ担当から筋固縮があってストレッチをしても筋肉が伸びにくいと言われた事。上手く動かない右手で松葉杖を使わなければならなく不自由している事。有限である余生を『自分が自分の為に』楽しく過ごせるようマイペースにリハビリを頑張ってる事。一つずつ報告した。





M先生はうんうんと頷きながら静かに聞いてくれた後「大きな手術だったでしょう。本当に頑張りましたね」と褒めてくれた ←と私は思ってる





もしも私がパーキンソン病じゃなかったら。


・術後の鎮痛剤も難なく使えた


・松葉杖ではなくT字杖を使えた


・筋固縮が無くスムーズにストレッチが行える





病気に甘えるなと言われそうですが、健康な人だって個人差がある中で、やはり難病持ちにはキツイ事があります。





でもどう頑張っても、どう努力してもパーキンソン病は治らない。いつか右の股関節を手術するとなった時に、自分の身体がどういう状況なのかも予測不能だし。





それでも与えられた身体で生きていくしかないんだよね。それが運命であり使命なのかなって。





私は看護師です。でもパーキンソン病患者でもあります。日によって、場合によっては『あちら側』と『こちら側』を行ったり来たりします。でもそれは【 私 】だからこその目線であり経験であり考え方であるとも思います。





努力もしますが弱音も吐きます。落ち込み過ぎて号泣する時もあります。聖人ではないので仕事の愚痴も吐き出します。でもどれも本音です。





進行性の難病を抱えて、私にしか送れない人生を送ろう! 確定診断から1年経った今年のサブタイトルです。





47都道府県を旅したい!


海外旅行に行きたい! 


車椅子じゃなく、自分の足で!





やりたい事がやれる時に、やりきりたい!





今年も頑張るぞ~!ヽ(´▽`)/オー