炎上中のタレントさんについて書きましたが・・・
私は、このやり取りを直接、タイムリーで見た訳ではないですが、今までの経験上、いじめの問題と同じ匂いを感じています。
現場では、仲の良い友達同士だったら多少の強いことばをぶつけても笑いあえるし、理解しあえると思っている、全力で嫌がるから揉めるんだと、同じ方向を向いていたのに感を強調して、自分は悪くなくて、相手が悪いんだと主張する加害児童を見てきました。
加害児童の主張は、
・一緒に遊んでいただけなのに
・ふざけ合っていただけなのに
・自分は謝ったのに
加害児童は一緒に楽しく遊んでいたはずなのに、急に拒否した
と、自分だけが悪いわけじゃないという言い訳を、全力でしてきます。
お互いにふざけあっていたから、一方が悪いように主張することのほうが間違っている
ちゃんと謝ったんだから、自分は反省したし悪くないでしょう
現場にいた時は、一応、一通りの言い分を両方から聞きました。
そして、ルールを設けています。
相手が発言をしている時は、相手の言い分を遮らないこと。
加害児童は、とにかく自分が悪者にならない為に、被害児童の発言すら認めないといわんばかりに、発言できないように邪魔をしてきます。
周囲の子どもたちは、この光景を”またか”と見ている子どもたちもいます。
現場にいると、こういった眺め方をしている子どもたちがいるほうが、私にとっては好都合でした。
悪く思われないように情報操作をしようとする、知能犯的加害児童の言い分は信用できないからです。
被害児童が何かを言おうとすれば、その発言を遮り、自分たちの言い分でまとめ上げようとするので、話を整理する順番を仕切るのは職員(私)であり、それを遮り話し合いが成立しないのなら、別の方法を考えると伝えてから話しあいをスタートさせていました。
子どもたちの世界では、悪いことをしたら謝り、誤ったことを認めて許すことが、仲直りのルールのようになっているので、このタレントさんの感覚も、謝ったら、はい、終わりってできるつもりだったのかもしれませんね・・・。
ラジオ局の対応も、グーグルの対応も、本人にとってはわかりやすい、自分の行いが自分に跳ね返った答えとして、それはそれでいいのではないかと思うのと、shiんでと言ったことばの重みが、このような結果を招くということが、子どもたちの心にも響くのではないかと思いました。
ごめんね
わかった・・・。もうしないでね。
このレベルの謝罪が許されるのは、子どものうちですね・・・。
今日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。