自衛隊候補生の銃撃事件や、散弾銃で警察官を撃った事件、灯油の沁みた布団に子どもを寝かせたことで、2歳児が炭化水素中毒で亡くなった事件?事故?などで、近所への取材から、どのような家庭だったのかという情報が出ていますが・・・。
毎度、思うのですが・・・。
情報の中には、発言した人の印象が強いものもありますし、発言者の印象であって、事実とは異なる部分もかなりあるはずです。
悪い印象部分をかき集めて、こんな状態だったから犯行に繋がったのではないかという印象を植えているようにしか思えない情報もあります。
その家庭のできなかった部分、うまく運べなかった部分、これらを並べたてて、いかにも、親として失格なんだよみたいなことをしても、そこから学ぶことといったら、できないことを責め立てているだけで、責められないように生きていくには・・・という部分しか残らないように思います。
自衛隊の候補生や、学童期にどのような子どもだったかを、元担任までが証言していますが、事件を起こしたら教師が個人情報を軽々しく漏らすということが認められるのかにも疑問を感じています。
犯人の周囲にいたとされている人間が、”こういう子どもだった”と証言をしていますが、”こういう子どもだった”という部分がわかっているという時点で、できることもあったはずなのです。
警察官を散弾銃で撃った犯人にも言えることだと思うのですが、彼に手を差し伸べることもせず、家庭のせいとしたり、支援を見出すこともせずに過ごしてきているというこは、逆に、大きな問題なのです。
こういう事件が起きた時に、発達障害があったかどうかがポイントの一つとしてあがることもありますが、発達障害があるかどうか、それを認められたかどうかではなく、コミュニケーションがうまく取れず悩んでいる子どもたちも多くいますし、それをフォローする仕組みをもった学校もあれば、何も対応しない、できない環境下の子どもたちもいるので、そこをどうフォローするのか、どう学びあうのかが重要な課題だと思います。
私が見てきた子どもたちの世界では、アンガーコントロールができないお子さんを面白がって、わざわざ本人を怒らせるような関りをしてトラブルを起こし、先生に注意されるという構図を作る事が得意な子どもを見てきました。
トラブルメーカーとされる児童が、必ずしもトラブルの中心にはいないことも見極める必要があるのです。
実は、子どもに操作されている大人も、沢山いるってことです。
自分自身が正確に、事の次第を把握することができず、トラブルを起こす原因を家庭のせいにしたり、発達のせいにすることで、問題を見出したつもりになっている大人も、かなり見てきました。
問題は見えているのです。
見えているのに、なんのアクションも起こしていないのです。
何かのせいにして、やったつもりになっているというのが、今の現状だと思います。
学校だけ、病院だけ、家庭支援センターだけでは、どうにもなるはずがない問題なのです。
今日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。