子どもたちは、大人の発する”ことば”を、よく聞いているものです。その”ことば”から、大人の機嫌をうかがっているものです。
それは大人の機嫌だけではなく、相手の子どもに、どんな感情を持っているかを探る材料にもしています。
目の前の大人が、癇癪を起して子どもに注意をしているとすると、子どもは自分が被害に遭わないように、対応策を考えるのです。
つまり、大人の態度が、子どもたちの集団から孤立してもおかしくないという状況を作りかねない場面が、出来上がっているということです。
毎日、指導という前提で、他の生徒がいる前で注意をする。
相手の気持ちを確認することもなく、言葉だけでわからせようとする行為は、子どもたちの世界にも響いていくのです。
私が、小学校の時の担任もそうでした。
毎日、お前たちはバカだ
と繰り返し、以前赴任していた学校の生徒は、勉強を教えなくても勉強ができる子どもばっかりだった。
お前たちは、勉強を教えても勉強ができない。
そして、ヒステリックにプラスチックの物差しを、机に叩きつけて割れて飛び散るという場面が、度々ありました。
今の時代であれば、完全にアウトな教師でした。
また、コミュニケーションを苦手としている子どものことを、その原因は家庭の問題、保護者の問題と訴える教師は、私は信用していません。
ただ、何かのせいにしないといられない、教師の問題でしかないからです。
大人がしっかりしようよ・・・
と、思う今日この頃です。