ジャングルポケットの斉藤さんが、小・中学校と壮絶ないじめを受けていた話を公表しています。

 

当時の担任の対応も、いかがなものかと思いました。

小さな子どもの命が、自らの力で終えてしまうような、悲惨な出来事が増えないように、こうした情報を表に出すことも、必要なことではないかと思います。

 

斉藤さんの話の中には、いじめられている斉藤さんに問題があるかもと考えた担任が、同級生に斉藤さんに言いたいことはないかと、並ばせて”つるし上げ”を行っています。

 

いじめの行為を、早くから対応できない一つの原因には、教師の対応能力にも問題があると思っています。

 

私自身の経験からも、昭和の時代には、いじめはいじめられるほうに問題があるから、やられてもしょうがないんだという、呆れる解釈しかされていませんでした。

 

斉藤さんは、いじめたほうはすっかり忘れているけれど、いじめられた方は忘れないと仰っていますが、私の場合も、いじめた覚えがないという輩もいました。

 

いじめの集団が大きくなればなるほど、大人の手に負えなくなっていると思います。大人が整理して考えられる、許容範囲を超えてしまうからだと思います。

 

 

表に示した子どもの人数は4人ですが、いじめが集団化すると、この3~5倍になります。

とっかえひっかえ、いじめをする子どもが入れ替わったり、同じ行為を数人で行ったりします。

 

この表のように、たまにしか加担しない子は、いつもやってないと言い張ります。だから、いいってことじゃないだろうと突っ込めない担任は、いつもやられていると表現する被害者が、大袈裟に反応しているのだと決めつけます。

 

中には、こうやって大騒ぎをするから、相手が面白がってからかい続けるのだ、お前の反応が悪いからだと叱りつけます。

 

被害者からしたら、エンドレスでいじめの行為が行われているということを訴えているのに、いつもじゃないなら、いつもと言うなとなって、表現の問題にすり替わってしまったりもするのです。

起きている状態も、やられて嫌だという肝心なところが、大人に通じなかったりするのです。

 

加害者は、自分の行為がいき過ぎていることを認識しています。

認識できるから、大人にばれないように、叱られないように、用意周到に言い訳を考えているのです。

整理すべき大人が、子どもの言い分をきちんと判断し、修正できるかどうかにかかっているのです。

 

旭川の女子生徒のように、人としての尊厳まで奪われるような、悲しい事件が起きないよう、子どもの世界で何が行われているのか、ちゃんと分析し、認識していく必要があると思います。

 

今日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。