先日、コンビニに、行った時のこと。

駐車場の端に、年配の女性が、何か探している様子。

背中は丸くなって、杖をつき、スーパーの袋を二つ持っていた。

その視線が気になりながら、通り過ぎ、やはり気になって声をかけた。

『何か、お探しですか?』
訳を尋ねると、タクシーが通らないか、道行く車を見ていたと言う。

更に、お話しを聞けば、買い物に出たものの、腰が痛く荷物を持って、家まで帰れなくなってしまったとのことだった。

家の場所を聞けば、何と50メートルほど先に見える建物だった。

『急ぎませんから、お持ちしますよ。』

そう言うと、とても嬉しそうだった。
スーパーの袋は、紙パックの小さなジュースやヨーグルト等が入っていたが、さして重いものではなかった。

ゆっくりと、歩みながら、とても助かったとさかんに繰り返す。

震災で、家と夫を失い、娘さんの家に引き取られてきた。
体が不自由なのだから、外出するなと言われているので、内緒で買い物に行ってるそうな。

玄関の前に袋を置き、帰ろうとすると、腕を捕まれた。
お礼だと言って、千円札を差し出された。

『当たり前のことですから、いただけません。』

辞退する私に、
『当たり前でないの、こんな年寄り、助けてくれる人いないのよ。』

受け取るまで、腕を離さない勢いだったので、有り難く頂戴した。

『お体大切になさってくださいね。』

複雑な思いを胸に、帰宅した。

『こんな年寄り、助けてくれる人いない。』

その言葉が、胸に刺さり、
悲しかった。

初めてではないからだ。

以前にも、横断歩道を渡りきれない方に、車を止めながら赤信号を歩いた時も、同じことを言われたのだ。
『あんた、優しいねぇ。』
『当たり前のことですから。』
『違うよ。こんな年寄り、助けてくれる人なんていないんだよ。』

その時も、『こんな年寄り』と言う言葉が、悲しかった。

年配の方だろが何だろうが、自分に余裕があれば、手を貸すのは『当たり前』ではないのか。

無理をしてまで、したことはない。

何故『こんな年寄り』なんて言うのだろうか。

長く生きて、それなりの人生経験を積み、自分の足で歩いている。

人は老いるものだから、歩みが遅くなるのも、自然ではないか。

経験豊かなことは、尊敬されるべきではないのか。
私の中の、疑ったことのない『常識』が否定され、自然が不自然と扱われる。

優しい人はたくさんいるのに。

どうしてかな?

悲しいな。