これは、大人になるまで育ててくれた母に言われて従って来たこと。
母を尊敬してる。自立した女性として。
感謝しています、高校を出るまで育ててくれたこと。
心の中で、この人は私の『お母さんなのか?』と思い続け、18歳になった時、実はと養子縁組の届け出書書いてと目の前に置かれた。
あの時とてもほっとしたのを憶えている。
冷たい、と思っていた。ヒステリックで。
母がヒステリックになると父は私をそのたびに殴りました。何故か『お前の感謝が足りない』と言う理由で。
思う様に話せない、表情の乏しい空想の世界に住み、心を開かない子でした。忍耐だけを使って生きていました。可愛いわけがない。
ホントに、小公女セーラ信じてました。
近所の子、学校の子、遊ぶなと。
お前の仕事は家事をすることだと、お母さんが働いているから。
貧乏で、水道もなかった。洗濯をするたび手の皮がえぐれて痛かった。
お手洗いが水洗だった。
毎日水くみ、何だっけ?天秤?かな。家から離れた国道を渡ったさきに共同の井戸がありお風呂をいっぱいにして、炊事用のバケツに水を運ぶ。
早く帰らなけれならない理由でした。
水を天秤で運ぶ何て、当時近所でも誰もしてなかった。父も母も、祖母もいたけど。
姉も妹も成績よろしく活発のため免除です。
今思うとね『自閉』ぎみだったのではないかと。
周りも自分も『出来の悪い暗い子供』で済ませていたのですね。
父のストレスのターゲットは酒と私。
パーティの時(よくパーティがありました)料理、後かたずけ、酒癖の悪い(酒乱でした)父に何時間も付き合うこと。
小学生の私の役割でした。家族は寝てます、私だけ。
無抵抗で忍耐強かったからでしょうか。
もの心ついた頃、部屋に鍵をつけて貰いました。
日常の暴力だけで済まなくなり、母に懇願してつけて貰いました。
でも、恐怖感はとまりませんでした。
母に助けを求めて聞いてと相談したとき、放たれた言葉。
我慢して耐えていてなぐられて、素直に心を開いて母親に話をした私、勇気いりました。
そして、助けてと思う感情持てなくなりました。
私はずっと困ってました、あの時『困ってることある?』と家族以外の誰かが声をかけてくれたら、私はハキハキとのべたかも知れない。残念ながらいませんでした。
『私に向けられた事柄への感謝』これだけが私に許された、深く持ち続けるべき感情です。
私が育った環境。
最近もっと認識してもいいと思えるのです。
可哀想だったと思うこと出来ないけれど、あれは
『幼児虐待』そのままだったと。
私の『うつ』はそうして育まれたものだと思うのです。
辛い悲しい、殴られて痛い、無視されて傷付く。
無意識に殻を強く持つこてで自分を守ったから生き抜けた。
排除する癖が身についてしまって、無理をしている様に見え、困るの伝え方わからない。
一般的でたいしたことじゃないこと。
自分も周りもそう捉えいる中で、私は確かにとても困っている。
辛いし、悲しいし、死にたいと震える。
でも、表せないし伝えられない。
誰もわからない。
わからないのが
困るの答えと言えます。
でも、誰でもそうだなのね?
多かれ少なかれ、みんな私みたいな『幼児虐待』
の中で誰にも助けを求められず大人になって強く生きてるのが普通なのかな?
人のことは私はわからない。
でも、人は私にそれはたいしたことじゃないと言う。
そうなんだ。と思い、そうなのか?とも思う。
壊れたみたいな私が弱いのかな?
わからないです。
こんな話を淡々述べて、にこやかで優しくても、殆んど人は去ります。
私は人と関わることに臆病になりました。
社交的な私の性格、有効に使えないのです。
母を尊敬してる。自立した女性として。
感謝しています、高校を出るまで育ててくれたこと。
心の中で、この人は私の『お母さんなのか?』と思い続け、18歳になった時、実はと養子縁組の届け出書書いてと目の前に置かれた。
あの時とてもほっとしたのを憶えている。
冷たい、と思っていた。ヒステリックで。
母がヒステリックになると父は私をそのたびに殴りました。何故か『お前の感謝が足りない』と言う理由で。
思う様に話せない、表情の乏しい空想の世界に住み、心を開かない子でした。忍耐だけを使って生きていました。可愛いわけがない。
ホントに、小公女セーラ信じてました。
近所の子、学校の子、遊ぶなと。
お前の仕事は家事をすることだと、お母さんが働いているから。
貧乏で、水道もなかった。洗濯をするたび手の皮がえぐれて痛かった。
お手洗いが水洗だった。
毎日水くみ、何だっけ?天秤?かな。家から離れた国道を渡ったさきに共同の井戸がありお風呂をいっぱいにして、炊事用のバケツに水を運ぶ。
早く帰らなけれならない理由でした。
水を天秤で運ぶ何て、当時近所でも誰もしてなかった。父も母も、祖母もいたけど。
姉も妹も成績よろしく活発のため免除です。
今思うとね『自閉』ぎみだったのではないかと。
周りも自分も『出来の悪い暗い子供』で済ませていたのですね。
父のストレスのターゲットは酒と私。
パーティの時(よくパーティがありました)料理、後かたずけ、酒癖の悪い(酒乱でした)父に何時間も付き合うこと。
小学生の私の役割でした。家族は寝てます、私だけ。
無抵抗で忍耐強かったからでしょうか。
もの心ついた頃、部屋に鍵をつけて貰いました。
日常の暴力だけで済まなくなり、母に懇願してつけて貰いました。
でも、恐怖感はとまりませんでした。
母に助けを求めて聞いてと相談したとき、放たれた言葉。
我慢して耐えていてなぐられて、素直に心を開いて母親に話をした私、勇気いりました。
そして、助けてと思う感情持てなくなりました。
私はずっと困ってました、あの時『困ってることある?』と家族以外の誰かが声をかけてくれたら、私はハキハキとのべたかも知れない。残念ながらいませんでした。
『私に向けられた事柄への感謝』これだけが私に許された、深く持ち続けるべき感情です。
私が育った環境。
最近もっと認識してもいいと思えるのです。
可哀想だったと思うこと出来ないけれど、あれは
『幼児虐待』そのままだったと。
私の『うつ』はそうして育まれたものだと思うのです。
辛い悲しい、殴られて痛い、無視されて傷付く。
無意識に殻を強く持つこてで自分を守ったから生き抜けた。
排除する癖が身についてしまって、無理をしている様に見え、困るの伝え方わからない。
一般的でたいしたことじゃないこと。
自分も周りもそう捉えいる中で、私は確かにとても困っている。
辛いし、悲しいし、死にたいと震える。
でも、表せないし伝えられない。
誰もわからない。
わからないのが
困るの答えと言えます。
でも、誰でもそうだなのね?
多かれ少なかれ、みんな私みたいな『幼児虐待』
の中で誰にも助けを求められず大人になって強く生きてるのが普通なのかな?
人のことは私はわからない。
でも、人は私にそれはたいしたことじゃないと言う。
そうなんだ。と思い、そうなのか?とも思う。
壊れたみたいな私が弱いのかな?
わからないです。
こんな話を淡々述べて、にこやかで優しくても、殆んど人は去ります。
私は人と関わることに臆病になりました。
社交的な私の性格、有効に使えないのです。