私は大学に入った時にはニコチン中毒になっていた。ただし、16、17歳の時は一本も吸っていない。普通なら、小学生時にタバコを覚えたら、1週間で重度のニコチン中毒者になる。
だからこそ間があるとは言え、人生でタバコを3本飲んだら死ぬ、と言うのは誇張ではなく、死ぬほど辛い目に遭う、と私は認識している。実際は赤子がタバコを飲んだら、喉に詰まらせて死ぬ、と言う事なのだろう。タバコを大人が3本飲みこんでも死にはしない。
閑話休題。
とにかく、悪魔(?)が体に入り込んだわけだが、この悪魔は体から出て行く事となる。
2回に分けて出て行った。1度目は新興宗教での行きの車に乗っていた時。
もう忘れてしまったが、あれは母がいたから、感謝祭の時だと思う。突如として私は低い雄たけびを上げることになる。車内にいた母や兄は何故私がそんな事をしたのかわからない、と言った感じだった。このとき私はもうすでに障害者だった。勿論私も何故このような声が出るのかわからなかった。この時、私は悪魔が出て行ったと感じた。目からは涙が一筋流れた。
そして2度目は中学一年から数えて28年後、2018年の5月6日。
その日、私は教会に来ていた。クリスチャンだからだ。私の悩みは様々あったが、この時の1番の悩みはタバコを吸うのをやめられない事だった。
ニコチン中毒なんて、大した事ない、と思うかもしれないが、体験したもの以外わからないだろう。だから、体験しなくて良い体験だから、やらない方が良いとだけ言っておく。タバコは悪だ。一つも良いところがない。値段は高いし。
その日は教会のホザナフェスの日だった。ホザナとは主を褒め称える、という意味らしい。
私はいつもより早く起きた。夜中の1時ごろ。夜8時に薬を飲んだから、夜中の1時に起きたのは別に不思議ではないのかもしれない。
が、教会学校で第1コリント人への手紙13章をみんなで輪読した際のことだ。
私が朝早く起きすぎたからだったのか、輪読が始まると同時に気持ち悪くなってきた。
吐く、と思った。
私は教会学校を途中で退席し、トイレに行った。
私は嗚咽だけして吐瀉物はなかった。
その時感じた。悪魔が出て行ったのだと。
その時まで非常にタバコが吸いたかったのだが、何故か吐き気があって嗚咽をした後、少しも吸いたいとも思わなくなった。
ただ、タバコをやめる日を決めていたので、やめなかった。12日、午後6時、と決めていたからだ。吸うタバコはベイプ。
実際やめなければ悪魔はまた私の中に入ってくるだろう。気をつけねばならない。主もそうやすやすとは悪魔払いをしないだろう。反省を私がしていないからだ。何故12日にしたのは1週間後、教会に行く。私の場合、1週間後に最後のニコチンによる中毒があることはわかっている。前に禁煙したときそうだった体。主日の礼拝にその日を乗り越えればまず間違いなくタバコはやめられる。
第1コリント人への手紙の13章は「愛」の章と呼ばれるものらしい。詳しくは知らないが、内容は、たとえ様々な不思議な事、信仰があり山を動かせたとしても、愛がなければ無に等しい、と書いてある箇所だ。
教会学校の牧師は、吐き気がおさまり教会学校の席に帰ってきた私に、
「悪いものが抜けたんだよ」
と言った。
確かに頷ける。私はその時まで、種々の不思議なことを自慢げに言っていた。
愛の章、第1コリント人への手紙の13章は読むべきだ。