完全断薬4ヶ月目に突入しました。
グランダキシン、メイラックス完全断薬の2月から離脱症状地獄が始まり…。
最後のベンゾジアゼピンであるソラナックス完全断薬の3月は、まさに離脱症状の集大成であり、離脱症状のピーク時でした。
神経が高ぶり興奮して眠りが浅い、少しの物音にも反応する。
何をしても改善しない慢性便秘も本当に地獄で…。
しかし、ここまでアレルギー反応が出てしまい、服用し続けるも辞めるもどちらも地獄ならば辞めるしか無いのだと13年という長い年月をかけて減薬してきました。
薬害に気付いたのは2007年でした。
ブログを始めたのが2012年ですから、随分と長いこと離脱症状と闘っていることを綴っているのですね…。
これには自分自身、驚きしかありません。
薬害、離脱症状を通し、ここまで自分自身にストイックな部分があることに気付かされました。
元々、こつこつタイプだとは理解していましたが…。ここまでとは。
でも、これだけ時間を掛けて減薬、そして断薬していったことは正しいのだと思っています。
パキシル、セロクエルの大量服用は7年間に及びました。
そして減薬期間は2年になります。7年間服用した劇薬を2年で断薬したのですが、振り返って考えてみると少し早かったのかなとも感じます。
しかし、こればかりは致し方ありませんでした。劇薬パキシル・セロクエルが私の身体に合わなかった為、酷い副作用が出ていたのです。
慌てて辞めざるを得ない状況でした。
パキシルは劇薬ですから完全断薬から3年経過してもバリバリ後遺症は残っていました。
5年経過してもまだまだ残っていて絶望的になりました。
希望の光が差してきたのが7年目のことです。
少しずつパキシルの後遺症が薄紙を剥がすように薄らいで来たのを覚えています。
そして今年でパキシル完全断薬から11年が経ちます。
勿論、パキシル特有のシャンビリ、首と頭の境目辺りで感じるピリピリ、パチパチ、チリチリ感は消えました。
しかし偏頭痛は残っていますが、これはベンゾジアゼピンやシェーグレン症候群も大きく影響している可能性大です。
私が感じていることは『パキシルは全てが強烈だった』ということ。
副作用も離脱症状も後遺症も。全てが。
全てがジェットコースターのようなイメージです。
パキシルも恐ろしいのですが、もっと執念深いのがベンゾジアゼピンです。
本当にこのベンゾジアゼピンはくせ者です。
服用していると服用している本人までもがくせ者になりますから。
攻撃性が高くなり被害妄想的になる。人間関係をぐちゃぐちゃにかき回し、人格も崩壊していきます。
ベンゾジアゼピン服用者、私のような減・断薬者は気を付けなければなりません。
断薬した直後、今までわりと仲よくしていたアメンバーさん、フォロワーさんがいきなり攻撃的になり荒れてゆくのを私は見てきました。
些細な文章、些細なことをきっかけに突如切れられてしまうことが何度もあり、その度に心痛めていました。
そう、これも含め全てがベンゾジアゼピンの影響なのでしょうね。
だから私はブログでもお互いの為、なるべく距離を取るようにしています。
相手も薬の影響を受けて敏感になっているし、私も同じなのだから。
本当ならば同じ薬害被害者同士、手を取り合って支え合う関係が理想的です。
でも、同じ被害者で攻撃し合う、相手の言葉尻を取り複数の人で攻撃してくるということが実際にありました。
これもベンゾジアゼピン、向精神薬の影響であり、私たちは薬に踊らされて支配されている悲しいピエロなのです。
私の場合、薬剤過敏があるのでかなり慎重に断薬まで持ってきています。
去年くらいには断薬したも同然の服用量でした。
でも絶対に焦らずに少しずつ少しずつ。
文句を言われても自分の信念を貫きました。
辞めることは正しかったと胸を張って言えます。
まだまだ4ヶ月しか経過していませんが、少しずつ離脱症状が薄らいでいるのを肌で感じています。
薬の影響で暴れたり、警察が来て大騒ぎになった内容のブログも消さずにちゃんと残してありますが、私も怖くて見たくありません(笑)
ブログを開始した頃の私はガッツリ薬に踊らされて支配されていたので、今の私と少し違うところがあります。
エキセントリックというのでしょうか。
本当、思い出したくもありません。
でも、これが薬害の事実ですから恥ずかしいけど消さないであります。
それがありのままの真実なのだから。
今夜は満月の影響からか眠れなくて。
お布団の中からまらかすちゃんとぽちぽちブログを更新しました
こちらも雨が降っています。
これ以上、被害が酷くなりませんように。