<エビータ博物館>
エビータの愛称で親しまれたエバ・ペロンは不遇の少女期を送った後、15歳で家出をし、ブエノスアイレスへ上京。
ブエノスアイレスでは、自らの美貌と性を売り物にし、様々な職業遍歴と男性遍歴を繰り返し、そこで出会った男たちを踏み台として出世していく。
水着グラビアや広告モデル、ラジオドラマの声優や映画俳優、等々多数の職歴を持つエビータは、後の大統領ペロンと出会い、ファーストレディー(大統領夫人)にまで上り詰める。
エビータは国政にも積極的に参加。
また慈善団体「エバ・ペロン財団」を設立し、労働者用の住宅、孤児院、養老院などの施設整備に務め、また労働者による募金でミシン、毛布、食料などを配布(その1部は第2次世界大戦の敗戦により困窮状態にあった日本にも送られた)、貧困層の政府の無策に対する不満を解消する。
様々な疑いにかけられながらも、当時のアルゼンチンでファーストレディーでありながら、もっとも影響力のある人物となった。
1952年に33歳の若さで子宮癌により死去、ブエノスアイレスで行われた葬儀には数十万の市民が参列した。
<アルゼンチンの独立200周年を記念してコインで造られた肖像画>
上から、情熱、勇気、労働(活動)、品位、偉大、連帯
エビータは全てを備えていたと言われ、彼女のキーワードとなる言葉。
<エビータの愛用していたドレス>
もし今現在生きていたら、91歳。
仕事柄、関わりのあるおじいちゃん、おばあちゃんと重ね合わせてしまった僕でした。