前回の記事は1/8だが、その翌朝私は起き上がることができず仕事を休んだ。

年明けから1名減った現場には新人もベテランもなく、昼休憩以外は動きづめで役割をこなす日々、ついに体が悲鳴を上げた。


振り返れば12月の中頃にも同じように休んでしまったが、今から思うとあそこですでに限界だった。

何とか倒れないで年を越したい、その思いだけで年暮れまでなだれ込み長めの年末年始で何とか回復を図る算段だったが、年暮れまでとは一段違う負担にためたはずのガソリンもアッサリ尽きた。


私は契約上いわゆる8時5時で回っていたから長時間労働が原因ではもちろんない。

しかし、12月の中頃に初めて休んだあたりから注意力の低下を自覚していた。

気持ちに余裕もなく簡単な確認動作すら抜けてしまい、そこを見事に元請けの偉いさんに見つかりカミナリを落とされることも増えた。


こんなことではとても続けられない…そう感じた私は現場を去ることを決断して申し出た。

申し出はアッサリ通り、書くものを書き、返すものを返し、アタマを下げるところは下げて、いちおうの区切りが付いたところで本欄を書いている。


振り返れば、私が大変お世話になったドライバーさんが当初ボソッと口にしていた「恐ろしい現場」という意味が、離れてしまった今、本当に身にしみてくる。

人間の背丈の倍以上の高さにある重量物を日々何十回何百回と取り下ろししなくてはならないのは恐怖そのもので、フォークリフトに慣れたものどうしでやっているから何とかなっているが、第三者から見れば過酷そのものに見えるだろう。

そこには残念ながら、先の北東北を襲ったクラスの地震でも来たら…という想定はなく、限られたスペースをいかに効率良く使うかの発想しかないように思えた。


私個人に落とせば、フォークリフトに関してはある程度の経験と技術はあったにせよ、毎日「自己新記録」を出し続けないとついていけない毎日、ド派手な事故を起こすことは結局なかったとはいえ、事故なく終えることだけで毎日が疲労困憊というありさまであった。

これに加えて、単なる運送業倉庫業であるわが社がなぜか製造ラインの一部をトラブル対応も含めて任されている現状があり、そこまでのマルチタスクはもはや私の容量では間に合わないとも感じて、ついに体の方から警報が発せられてしまったのであった。


うまく息抜きをしながら日々を送れたらというのは易く、そうできないほどの仕事量がこの先も…と思うと先のことは考えられなくなってしまったのは私の力不足としか言えない。

しかし、この後も続く人生のため、再起不能になるまで自分を追い込むことはできなかった。


できれば定年までいたいと思った職場もわずかな期間で去ることになり正直今は途方に暮れている状態だが、しばらくは体の回復を優先したい。

倒れるまで頑張れたことをせめて自分だけでもほめてあげないことには回復するものも回復しない。

疲れが取れたらまずは少しずつでも歩き出そう。

いきなり走ろうとしたらまたつぶれてしまうと思うから。

つらいことばかりだったが短い中でいい出会いもあった。

この経験も絶対にムダにはしないと誓い記事を閉じることにする。