阿波古代史の研究界 | 阿波 発 京都 行 @どなり古事記研究会

阿波 発 京都 行 @どなり古事記研究会

この国の起源と歴史を阿波から見つめなおして。

徳島~大阪~京都を往還しながら、全国各地へ出張取材。
折々にタイムカプセルをのぞく “行き当たりバッチリ” 訪問記です。

 
『歴史読本』 (新人物往来社) の特集を文庫本にまとめなおした 『ここわでわかった! 邪馬台国』 という本を買いました(2011年・刊)。
まあ、阿波はスルーされているのだろうな、とは思いつつ。
ところが、ちゃんと“阿波地方説” が紹介されているではないですか。
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さすが歴史読本!
そのラインナップは~
 
 ① 畿内大和説
 ② 九州地方説
 ③ 出雲地方説
 ④ 吉備地方説
 ⑤ 阿波地方説
 ⑥ 越後地方説
 ⑦ 東日本{千葉県/福井県/長野県/石川県/静岡県}/沖縄説
 
主役級の畿内説や九州説に対しては、“慎重に”とか“まだ証明されていない”という表現が多いのに対して、阿波説の紹介では若杉山出土の朱など、有利な要素の紹介が中心で、否定的なコメントはありません。
まあ、招待選手扱いなのでしょうかね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ここで、私の手元にある“阿波説”関連の本を追いながら、先人・諸先輩の歩みに敬意を表したいと思います。
内容には(私にはまだまだ)触れられません。興味をお持ちの方はぜひ入手して研究してみてください。
 
 
1976 (昭和51) 年 6月10日に その新人物往来社から発行された 『邪馬壱国は阿波だった』 が嚆矢、阿波説の一の矢だったようです。
 
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巻末に古代阿波研究会の面々の、錚々たるお名前が載っています:
 
事務局長 堀川豊平
編集委員 多田 至
       板東一男
       椎野英二
       上田順啓
       岩利大閑
       磯野正識
 
 
なかでも岩利大閑氏は、上の本の原稿を堀川豊平先生から預かって東京の出版社へ持ち込まれたそうです。
(以下、阿波説関係の先生方のうち、ご存命の方は 先生、お亡くなりになった方は 氏 と呼ばせていただきます。)
先日お目にかかることのできた堀川先生によれば、その時に(おそらく出版社の判断で) 相当の部分が削除され、内容としては不本意なものになってしまったとのこと。
それでもこの本のインパクトは相当だったようです。
「阿波古事記研究会」三村隆範先生もはじめは堀川先生に学ばれたそうで、堀川先生もとても懐かしがっておられました。
この頃を “第一期 阿波説ブーム” とでも呼べるのかもしれませんね。
 
「邪馬台国」ではなく「邪馬壱国」としているのは、古田武彦氏が『史学雑誌』(昭和44年)に発表した説にもとづいているそうです。
5つの部族連合のことをヤマの(イ)の国と称して、漢字で表せば「邪馬壹国」となる、というわけで「台(臺)」は「壹」の誤記だそうです。
なお、その5つの部族とは[海部(あまべ)]、[長(なが)]、[大粟(おおあわ)]、[忌部(いんべ)]、[物部(もののべ)]で、政治的意図で [忌部] の国が消されたと主張されています。
 
 
その後に岩利氏がキョーエイの社長の応援を得て出版されたのが、ご存じ 『道は阿波より始まる』
1985 (昭和60) 年 12月30日に発行されています。
 
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あとがきによれば、「昭和57年8月、阿波国国史研究会 の会員や専門家用に、非売品限定本として出版された」とあります。
阿波国国史研究会 という独自の会を作られたのでしょうね。
1986 (昭和61) 年に続編の 『その二』、1989 (平成元) 年に 『その三』 が発行されています。
特に 『その三』 には阿波神代文字 が載っていて興味深いです。
いずれも発行は (財) 京屋社会福祉事業団 (2012年6月からキョーエイ社会福祉事業団に改称)さんで、今もそちら (Tel: 088-665-9015)で購入できます。
 
歴史的な本 『大嘗祭』 もこちらでお願いできます。
発行当初は非売品、買うなら10万円ともいわれた写真満載のこの本も、在庫を早く一層したいという現経営陣のご意向でわずか1万円(+送料1,000円;2013年10月現在)。
残りが少なくなってきているそうです。
阿波古代史のみならず日本の歴史を研究されている方なら垂涎の大著、お見逃しなく。
 
 
1986 (昭和61) 年には、映画 『道は阿波より始まる』 のシナリオと解説として 『記紀は阿波一国の物語である』  という冊子が出版されたようです。
私が送っていただいたのは2011 (平成23) 年の版。
著者は岩利氏の弟子という 笹田孝至先生です。
 
 
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この本のまえがきで笹田先生が岩利大閑氏の略歴を紹介されています:
 
岩利大閑氏(1925-1989、本名 岩佐利吉)は徳島市伊賀町生まれ。
父祖三代にわたって古代史の研究を続け、ついに皇祖の地・高天原が阿波であり、かつ、記紀時代の歴代天皇の皇都が阿波に存在したことを確信。その成果を昭和57~64年(平成元年)までの間に、『道は阿波より始まる(その一~その三)』 として著してきました。
著者は、昭和58年以来岩利大閑氏に師事し、そのご縁で映画の製作と当初の著作に携わる栄にあずかりました。
 
とのことです。
 
この笹田先生ご自身のことは巻末に年表式に:
 
1944年 徳島生まれ。
1979年 徳島市役所観光課在職中、邪馬台国阿波説をもとに阿波邪馬台国観光を推進する。
1983年 『道は阿波より始まる』 の著者岩利大閑氏に師事、古代史に引き込まれる。
2006~2009年 阿波古代史講座(全11回)を主宰。塾長として7度講師をつとめる。徳島歴史研究会主催。
2008年 古代史のコペルニクス的転回を企図し、NPO法人阿波国古代研究所を設立。調査報告講演会、古代史探訪バスツアー、大嘗祭御膳復活催事ほか活動を継続。
現在 NPO法人阿波国古代研究所代表、徳島歴史研究会会長。
 
その笹田先生が2011年に出版されたのが、地図と解説を一体化したユニークな“宮都阿波復元古代地図書” 『阿波から奈良へ、いつ遷都したのか』
 
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吉野川両岸にずらりと並ぶ(これでもごく一部だとか)古墳の印に感動します。
 
こちらは株式会社アワード(阿波+道?)さんで購入できます。
℡:088-625-3840
古代研究所の事務局は:
awa-kodai*mf.pikara.ne.jp (*を@に替えてください) 
 
 
2006 (平成18) 年 9月11日にたま出版から発行されたのが、高木隆弘先生の 『記・紀の説話は阿波に実在した』
  
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プロフィールは:
 
1937年生まれ。
徳島県出身。郷土史家。
1970年代の邪馬台国ブームをきっかけに、古代史を研究する。そして中国の正史倭伝、古事記、日本書紀の記述が阿波であると確信して、郷土の歴史を本格的に研究しはじめ、その研究成果を本書にまとめる。
 
きっと上記の先生方の影響も受けつつ、独学で探究を続けてこられたのでしょう。
現在のご動静は分かりません。
 
 
そして“阿波説”陣営の大物、孤高の境地におられる 大杉 博 先生を忘れてはいけません。
高天原=邪馬台国は四国山中ということに加えて、ユダヤ起源を説いておられます。
そして弘法大師・空海も深く関わっていたというものです。
 
2001 (平成13) 年10月20日に日本文芸社から出版された、この本 『古代ユダヤと日本建国の秘密』 で私が初めて“阿波説”に出会ったような気がします。
 
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1929年岡山県生まれ。法政大学法学部中退。宗教家。
1976年から古代史の研究に着手。
81年に倭国(いのくに)研究所を設立。
現在は倭国研究所所長を務めるかたわら日本史の謎の解明にとりくむ。
とあります。
とすると現在84歳でしょうか。お元気かな。
 
そういえば私は “阿波説” の前に、宇野正美先生のご本などの 日ユ同祖論 から入って徳島が気になったのでした。
 
古代ユダヤは日本で復活する―剣山の封印が解かれ日本の時代が始まる』 (日本文芸社;1994年)という“その筋”のご本があることだけ、ご紹介しておきます。
剣山の夏祭りで神輿が頂上に担ぎ上げられる渡御は祇園祭の山鉾巡幸の日、それがノアの方舟がアララト山に漂着したという7月17日なのだ、というようなお話がどっさり出てきます。
(剣山の渡御はたぶん担ぎ手の減少から2012年より例大祭後の最初の日曜日にされるようになりましたが。)
 
奥祖谷の温泉旅館に泊まったとき、売店に大杉先生のご本がズラリと並んでいたのに感動しました。
その時に買った一冊。
 
 
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弘法大師は修業時代に“阿波の秘密”を知ったに違いない、というもので、なかなかおもしろいです。
「次は、剣山へ登り、鍾乳洞の中に置かれている秘宝を見たはずである」というように、“はずである”から“なのである”へと続く論調で、学術書というよりも推理小説の面白さに近いかもしれません。
もちろん真偽はこれからの歴史が証明することであって、大杉先生、ズボシです!ということになるかもしれません。
 
のらねこ先輩も2009年のブログのコメントに 「…半信半疑でしたが、その後いろいろな本を読んだり、自分で調べたりすると「おいおい!」(本当に何度も、そう声をあげました)と衝撃を受ける事実と出合い、信偽の比率が変化してきました」 と書いておられます。
大杉博氏と邪馬台国四国山上説 http://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/43192033.html
  
冒頭の新人物往来社の本で阿波地方説を担当した人は、大杉先生に会っています。
「いやあ、まいったなあ」という感じだったのを懐かしがっているようなのが楽しいです。きっとそのスケールの大きさに圧倒されたのでしょう。
 
 
以上の諸先輩がたとは一線を画して“阿波説”を追っておられる 林 博章 先生 (阿波歴史民族研究会・会長) は、今は忌部を手掛かりにしておられますが、日本から世界全体を視野に収めた新しい文化人類学を確立されそうです。
『倭国創生と阿波忌部』『日本の建国と阿波忌部~麻植郡の足跡と共に~』そして最新刊の 『オオゲツヒメと倭国創生~日本の穀物起源神の原像~』 は、いずれも“阿波説”の広がりと奥の深さを実感させられる力作。
年齢もこのお歴々のなかで最年少ですから、今後のご活躍が楽しみです。
 
 
なかなか壮観でした、でしょう?
 
いま間違いなく “第二期 阿波説ブーム” が起こっていますね。
本を出版していなくともそれぞれ探究を続けておられる諸先輩のブログの内容も濃厚ですし。
 
うわさではここ数年、何人もの著名な霊能者が “阿波入り” しているとか。
阿波の神社のどれかが、かつての “天河”や幣立“”のようなパワースポットになるのも時間の問題かな。
 
いつ “全国区” のマスコミで継続的にとり上げられるか…。
林先生は今年3月25日産経新聞 朝刊の一面 オオゲツヒメが登場したのがきっかけになるぞ、と話しておられます。
確かに、近い予感・・・。
 
そのときに備えて、まずは徳島県内で諸説をぶつけ合って磨きをかけましょう。
その段階を経てこそ、今はローカルな ⑤ 阿波地方説 が国民周知の にも にもなる可能性が開けるのですから。
 
私もはこのブログを書きながら勉強を続けて、そんな議論に生きているうちに加われるようになりたいものです。
じっくり、でも急がなくては。
ご紹介した諸先生がお元気なうちに。
 
そして過疎化が進む阿波の山々(高地集落)に、人々の暮らしの明かりが灯っているうちに。
 
“阿波説” を温かく(たぶん)応援してきてくれた 新人物往来社 だって、2008(平成20)年に 中経出版 の子会社になり、その翌年には中経出版が 角川グループ の子会社となったことにより、2013(平成25)年)4月1日に中経出版に吸収合併されて 社名が消滅
 
そう、時代はいつも流れ続けているのです。
 
お~い、急いでくれよ。
山間部でよく見かけるようになった人形たちが、期待してこっちを見つめている気がします。
 
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P.S. 2014.4.2 
洲本の書店 「成錦堂(せいきんどう)」さんへ行きました。
あの謎の本 「淡路の神秘~エル、エロヘ.イスラエル」 を出版された、淡路島の古代史研究の大本営のようなお店です。
 
洲本商店街にある一見普通の書店ですが、店主の湊さんとお話すると、まあオドロキ桃の木…。楽しいお話が尽きることはありません。
このブログを見てくださる方なら、ぜひ一度(時間に余裕をもって)お会いになってみられることをお勧めします。
 
地元密着に加えて(多くの人が“入りびたっておられるようでした”)ネット通販に力を入れておられます。
そのページに右:注目のコンテンツの3つ目が “在庫世界一~淡路島の本”。
 
 
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創業の1885年とは明治18年で、伊藤博文が初代内閣総理大臣に就いた年。
洲本の“民度”の高さがうかがわれます。
 
「ちょうど倉庫から出てきたんだ、ラッキーだよ」とおっしゃる 『淡路の神話と海人族』 (岡本稔/武田信一 著)が平積みされていて、一冊頂きました。
 
さらに書架に 「一冊だけ残っていたのを飾ってある」 というのが・・・
 
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おお・・・。
堀川先生の 『邪馬壱国は阿波だった』 の改定版?と思ったら、短編小説集で、表題作は昭和49年の徳島新聞社が募集した懸賞小説の入賞作だそうです。
『邪馬壱国は阿波だった』 の2年前じゃないですか。 
もちろんいただいて帰りました。
 
調べてみると、この本のことは、さすがのらねこ先輩のブログに6年も前に紹介されていました:
 
 
そこで大杉 博さんの本を紹介されています。そのまま孫引きで:
 
邪馬台国阿波説を最初に発表したのは上板町の故・保田兵治郎 氏で、昭和36年地元の神社の古記録に 「粟散土国王在日弥子」 の記事を発見し、邪馬台国研究に入った。
そして阿波歴史研究会で 「邪馬台国阿波在国説」 を発表したのが昭和39年。
保田氏は昭和41年には 「建国日本秘匿史の解折と魏志倭人伝の新解訳」 を自費出版した。
この保田氏をモデルとして 「邪馬台国は阿波だった」 という小説を書いたのが 堤 高数氏。
(中略)
これらの足跡を受けて昭和51年に、古代阿波研究会というグループが「邪馬壱国は阿波だった」を出版したのである。
 
なるほど。
保田兵治郎さんは小説では猪田健治郎と名前を変えてあります。
 
本のあとがきに 「この小説にはモデルもあり、当時徳島新聞の夕刊に掲載されるなど、私にはいろいろな想い出がある。またこの小説は、その善悪は別として、現在徳島市が、邪馬台国阿波説を 『邪馬台国は阿波だった』 として、強力に観光宣伝を押しすすめている、そのひとつの淵源になったかもしれない」とあります。
そんな時代が実際にあったのですか・・・。
 
この小説との出会いで、私はまた一歩遡ったようです。
「粟散土 国王 在 日弥子」 ・・・。
その時代に生きた人たちが記録に残したものから受け継がれるこの大きな流れ。
ひと時のブームに終わらせず、わずかずつでも発展させていきたいものです。