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タヒチボラボラ島にまた行って見たい

夢のように美しい島です

国内なら

波照間島

波照間島の西浜は息をのむような美しさです

 

4月に大阪に行った時の記事書いています

 

四天王寺の参道を行くとこんなお店

釣鐘屋さん

お菓子屋さんです

明治33年(1900年)創業

2階の白壁に

釣鐘があしらわれ小さな釣り鐘も・・・・

 

帰りに入って見ようと思ったのですが

帰り道を変えて歩いてしまって行かれず

 

はいここが四天王寺です

お寺さんなのに大きな鳥居が・・・・

後で聞いたら神仏混交の名残なのだそう

彼岸の中日にはこの鳥居に向かって陽が落ちていくようです

このため西方浄土の東門とされているようです

入ってすぐに小さな釣り鐘

ここにあるのは引導石

葬送の時棺を引導石に置き鐘を三度鳴らすと

お太子様が亡魂を極楽浄土にお導きくださると言われています

 

ここでいうお太子様とは聖徳太子の事

この四天王寺を建立された方です

 

四天王寺は、推古天皇元年(593)に建立されました

今から1400年以上も前のことです

 

『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、

崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、

自ら四天王像を彫りもし、この戦いに勝利したら

「四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」

と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立されました

 

昭和9年(1934)9月21日、近畿一円を襲った室戸台風によって五重塔が倒壊

金堂は傾斜破損、仁王門(中門)も壊滅するなど、

境内全域が相当な被害を被りました

 

昭和15年(1940)、努力のすえに五重塔が再建されましたが、

それも束の間、昭和20年(1945)の大阪大空襲により、

六時堂や五智光院、本坊方丈など伽藍の北の一部の建物を残し、

境内のほぼ全域が灰燼に帰してしまいました

 

その後、昭和38年(1963)には伽藍が、昭和54年(1979)には

聖霊院奥殿・絵堂・経堂が再建

その他の建物も次々に再興され現在ではほぼ旧観に復しています

四天王寺HPより

 

というわけで四天王寺は和宗と称する宗派で宗派を超えた寺となっています

大きな西大門です

この門には転宝輪が設置されていました

正面に四天王寺の中枢部が見えてきました

門の周りには回廊がつながり

回廊の内部には金堂と五重塔

 

入ってみます

立派な五重塔

ですがコンクリート造り

こちらの建物は金堂

堂内では法要が行われていました

内部を拝観

 

お城と同じでコンクリートの建物には入らない主義なので

五重塔には入らずに出ることにしました

境内をめぐっていると

池が有りました

丸池です

桜が咲いていてきれいでした

 

納経所に立ち寄りご朱印をいただくことに

ご朱印帳見たら、係の人に

「観光印ですね」って言われた

 

見ていると沢山書いてもらってる人がいて

四天王寺のご朱印って何なんだろうって思いました

 

何時も頂いているご朱印は

お寺さんでは観光印なんですね

もうご朱印頂くのはやめようって思いました

 

四天王寺と地名の天王寺

何が違うの??

って思いますよね

 

同じ名前なのだそう

これも大阪の七不思議

 

天王寺という地名はこの四天王寺から起こっているのです

四天王寺は天王寺とも言われているそうですよ