朝から結構な雨が降り続いています

こんな週始めだとお勤めの方嫌ですよね

私は雨の日の通勤嫌だった・・・・・

特に大雨が降っていたりすると

最寄り駅までつく間に濡れてしまうのでね

濡れた状態で満員電車に乗るって・・・・

気持ち悪いしで

 

今日も通勤されている皆様

本当に御疲れ様です

 

遂に書くネタが無くなりました

 

旅行プランで一番こだわることは?

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今日は旅の日なんですね
 
旅行プランで一番こだわることは
 
そうですね
目的に従ってまっしぐらって感じでしょうか
 
京都にこだわっているときは京都を自転車で
全て見て回ることに集中
 
沖縄の八重山に行くときは2週間も滞在して
徹底的に・・・・・
 
桜追いかけ旅は桜求めて青森まで
満開情報をニュースで見てその日に旅立つとか
 
よさこい祭りではどっぷり4日間
何の観光もせずよさこい三昧
 
そしてそして
一番こだわったのが歩き旅
究極のスロー旅で、人情に触れる旅でもありました
東海道完歩を皮切りに
中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道
歩き切ったときの満足感と言ったら・・・・・
 
そして
祈りの道、大山街道も
さらに
京街道も歩き始めたらコロナで行けなくなって
 
色々ありましたが
 
そんな中でアメブロには投稿していなかった
大山街道歩き旅の模様を最新の旅記事の間に
挟んでいこうと思います
 

2018年2月14日 にスタートした歩き旅

情報が古いのでお気を付けください

 

初日は東京の赤坂見附~三軒茶屋  28067歩

 

大山街道とは

 

この地図のように神奈川県伊勢原市に有る大山を目指す道の事

 

大山には何があるかというと「大山阿夫利神社」です

大山街道は大山阿夫利神社への参詣道となります

大山街道は脇街道と呼ばれる道で、東海道の輸送を補う役割を持っていました

脇街道は庶民の道なんですね

 

大山街道は一本の道だけではなく東海道の戸塚あたりから

入る柏尾道など沢山ありましたが

今回はまず青山通り大山道(別名矢倉沢往還)を歩くことにします

 

江戸時代はご存知のようにお伊勢参りが流行りました

その流れを汲んで江戸に近い大山詣でも流行したんです

 

お参りした後は江の島に向かい江の島で遊んで

金沢八景に出て舟で江戸に戻るコースが多かったようです

 

青山通り大山道は赤坂見附の門からスタートします

 

東京に住んでいらっしゃる方は赤坂見附という駅や地名は

ご存知の方は多いと思いますが

江戸時代はここに見附が置かれていました

見附とは街道の分岐点などに交通の要所に置かれた見張り所の事

 

ここ赤坂見附は江戸城の堀に架かる橋に門構えを作って

赤坂見附としていました

 

その門の跡が今も残っているのですよ

 

地下鉄銀座線赤坂見附駅で下車

赤坂見附門に向かいます

このあたりは仕事でよく来ていたからよく知っていますが

こんな街道歩きのスタートとして来てみると新鮮なものを感じます

ここが赤坂見附御門跡

石垣だけが残っています

 

広い道を挟んだ反対側を見ると大きなお屋敷がありました

何だろう?

警備の警察官もいました

 

ここは衆議院議長公邸でした

 

案内地図がありました

赤いルートで大山街道に向かいます

御門から大山街道方面を見ます

坂を下った先に見えるのが青山通り…大山街道です

御門の向こうに見えるこの新しいビル

私にはなじみがありません

ここは東京ガーデンテラス紀尾井町ビルです

 

この場所は「赤プリ」の愛称で親しまれていた赤坂プリンスホテルの跡地に立ったビルです

 

赤プリには思い出が有ります

 

ここで取引先の創立周年パーティーがあり、社長と一緒に出席しました

社長と一緒だったのでめっちゃ緊張してましたが

パーティーの途中ちょっと左側に立っている着物姿の美しい女性

 

誰だろう????

まるで日本人形のような姿でした

見たことのある人です

 

藤あや子さんでした

 

社長が隣にいなければお話ししたのに・・・とても残念でした

 

大山街道に向かいます

この堀は江戸城の外堀

見えている橋は弁慶橋

といっても武蔵坊弁慶とは関係がありません

 

江戸城普請の大工の棟梁であった弁慶小左衛門が作った橋

であることから、弁慶橋と名付けられたといわれています

これが弁慶橋です

この橋を渡ったところが紀尾井町

 

紀州、尾張、井伊の屋敷があったことから各藩の名前が取られた町名になりました

 

続きます