昨日投稿した件ですが、「成長曲線」、「臨界点」ということで言えば、現在はある部分達している(それで周りが変わってきている)ところはあると思います。
ただアコギであるとか、素描であるとかは、これからの残りの人生で取り組むジャンルで、一昨日の宅録など聴き返すと鬱々とした気分になるのですが、自分の考えとしては、「量(努力)」と、あと、「進んでいく方向性」みたいなのが何より大事なんじゃないかと思っています。
今日の毎日新聞の『余禄』で、昨年暮れに89歳で亡くなったノートルダム清心学園理事長・渡辺和子さんのことが紹介されていました。
著書『置かれた場所で咲きなさい』がロングセラーということで、自分は渡辺さんもこの本のことも知らなかったのですが、タイトルの意味するところには深く共感します。
9歳のとき、2・26事件(陸軍将校のクーデター)で陸軍教育総監であった父を射殺されたエピソード。「大雪の朝、和子さんは兵士の怒鳴り声で目を覚ました。和室の座卓に身を隠したが、1メートルほど離れた場所で父は43発の銃弾を浴びた。」
http://mainichi.jp/articles/20170108/ddm/001/070/108000c#csidx50d8635b5117fa5bf09ee2192ba54dc
この事件を許せるまで50年かかったと渡辺さんは語ったそうですが、肉親を殺された、強姦された、言われなき罪を着せられ人生を狂わされた・・。許せと言われても、到底許せない現実がこの世にはあると思います。
ただ、その自分の怨念とも言えるエネルギーで憎しみ、恨み、あがき、のた打ち回り、しかしその過程で時間とともに自分が変わり、人に助けられ、自分の進む方向が見えてくれば、その傷は生涯消えることはなくとも、(その分)、たとえば幸せな家庭や人間関係、生まれて良かった、自分の果たす役割がこの世にあると思える意義を見つけることが出来るだろう・・、とは思います。
P.S.
かなり冷え込んで来ましたが、皆さま事故には気をつけて、よい休日をお過ごし下さい。