『赤い楯』~「第一章 金銀ダイヤの欲望に憑かれた男たち」の要約。(『研究メモ - 日本人が知らない 恐るべき真実』 から。)
2 フランクフルトの『夜と霧』
「イエス・キリスト誕生の時代に、ローマ人によって中東の地-今日のパレスチナ-から追放されたユダヤ人は、全世界へ離散を余儀なくされ、ある者はアジアへ、ある者はロシアへ、ある者はヨーロッパへと散っていった。その中でユダヤの戒律を守りながら、同時に故国なき民として生存するための知恵を体得していった集団が、16世紀頃にはドイツのフランクフルトに大量に移住を始めた。その知恵とは、貨幣の交換や金貸しを専門とする職業で、こうした金貸し業者の一人がモーゼス・ゴールドシュミットであった。
ゴールドシュミットとは、今日われわれが使っているような家名を表わす姓でなく、職業を示す店の看板であった。16世紀には“金貨取扱い業者”を意味する通称だった。このユダヤ人たちはフランクフルトの中で特別の区画でしか生活を許されず、ゲットーと呼ばれる地区に閉じ込められ、そこへキリスト教徒が借りに通ってくる。こうしてゲットーはユダヤ人居住区であると同時に、中世の金融街を形成していった。いかなる戦乱があっても貨幣を確保しておけば生きられるというこのユダヤ人の知恵が、今日の金投機の源となった。
1989年“13日の金曜日”のあとベルリンの壁が崩壊し、金価格は急騰した。これから何が起こるか不安である、という時には必ず金価格が上昇する。札束や証券などはいつ価値がなくなるかもしれないという不安から、貴金属や不動産に換えておく。その金価格は歴史の定めにより、今日でもロンドンのロスチャイルド家が毎朝決定し、全世界がこれに従っているのである。キリスト教徒が古い時代にユダヤ人をゲットーに押し込め、そこで金貸し業を強制した時代から、このゲットーの原理は変わっていない。
モーゼス・ゴールドシュミット家は、中世のゲットーの中で大きく育ち、18世紀に入ってからこの一族から一人の巨人を生み出した。
1744年にユダヤ人街148番地に誕生したその人物は、父アムシェル・モーゼスの金貸し業を引き継ぎ、ある家紋を小さな看板に掲げて商売をおこなっていた。看板には“赤い盾”の絵が描かれていた。ドイツ語の赤い盾“ロートシルト”がフランス語では“ロチルド”と呼ばれ、ロンドンでは“ロスチャイルド”と発音されるようになり、その家紋は、のちに全世界の銀行家が一目見ただけで震え上がるようになった。
ドイツのフランクフルトの片隅にあるユダヤ人ゲットーで日を送っていた初代マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドには、五人の息子と五人(一説には七人)の娘があった。
長男のアムシェル・マイヤーがドイツ家を継ぎ、次男サロモン(ザロモン)・マイヤーがオーストリアのウィーン、三男ネイサン(ナタン)・マイヤーがイギリスのロンドン、四男カール(カルル)・マイヤーがイタリアのナポリ、五男ヤーコブ(のちにジェームズと改名)・マイヤーがフランスのパリに散る形でヨーロッパ全土の主要都市をおさえた。
この散在の仕方がロスチャイルド家の繁栄の鍵を握るものであり、絶妙だった。散ったようで、実は広く網を貼り、緊密な連携プレーを演じたのである。
二代目の五人兄弟から三代目まで追っていくと、孫の代では19人のロスチャイルド・ファミリーが誕生している。見るべきは、この19人の結婚相手であり、一人は若死にしているので、18人のうち14人が同族結婚をしていた。この同族結婚は、投機筋から分析すると大変興味深い戦略になるはずだ。
初代ロスチャイルドが生きた時代は、1744年からフランス革命をはさんで1812年までだった。当時、通信手段は郵便に限られていた。どこでどのような事件が起こったか知らせるスピードが、貴金属などの値動きに反映されることは言うまでもない。その利鞘を稼ぐ商人の立場にあって、ロスチャイルド家はドイツ、オーストリア、イギリス、イタリア、フランスの五カ国を、同族結婚によって固く結びつけていた。“自家用の郵便船”を絶えず出航準備完了の状態に保ち、一朝ことあれば、乗客を乗せずにニュースだけを運んだロスチャイルド家であった。当然、伝達能力は誰よりも早く、確実な内容が伝えられた。
赤い盾-この看板には鷲とライオンとユニコーンに、五人の息子を示す“五本の矢を握り締める腕”が描かれている。この“五本の矢”は、ロシア南部のスキタイの王が死の床に息子たちを招き、矢を束ねると折れないことを示した故事が由来で、兄弟の結束を意味している。この“五本の矢”は今日でも“ファイブ・アローズ財団”や“ファイブ・アローズ証券”として生き続けている。
中世の暗黒時代から近世へ突入しようとする時代、フランクフルトのゲットーに押し込められたロスチャイルド一族は、市民権さえ与えられず、細々と両替商を営んでいた。一般市民との交際が厳しく禁じられ、夜には居住区から出ることも許されず、日曜と祭日にも“賤しいユダヤ人”としてゲットーに閉じ込められていた。
この時代に圧倒的に数の多かった貧しい人間が何を考えているかを、ロスチャイルド親子は身をもって知った。
マイヤー・アムシェルは幼くして両親を失いながら、ドイツの名門貴族ヘッセン家の、貨幣に異常な収集癖を持つヴィルヘルム9世に目をつけた。
マイヤー・アムシェルは、徒弟生活の中で、通貨の売買で利鞘を稼ぐ腕は若くして相当なものになっていた。
こうしてコレクターの二人は古銭を扱う世界で知己となり、やがて大々的に貨幣を収集し始めた。
高利貸しに身を転じたマイヤー・アムシェルは、戦乱のヨーロッパ大陸を走り回りながら、いつの間にか莫大な自己資金を蓄えることに成功した。
それがもっぱら軍資金の調達と、兵士の調達という戦争目的に運用され、敵味方なく、儲かるところに投資されたのである。・・」