「HPを立ち上げた2000年以降の経緯」を文章にしてまとめ、関係者の方々にお聞きしたり、当時の資料を整理してわかった事実を下記、記します。
1.多賀谷虎雄元搭乗員が回天会に預けた、河合不死男が贈った遺句は紛失。
それ以前に回天記念館及び靖国神社が所蔵する河合不死男の遺品は0でしたから、現在の遺品は、その後回天記念館で保管していただいている(弟・強が保管していたものを高齢の為寄託)、出撃前に残したアルバムの一点のみとなります。
2.1999年3月発行された『回天記念館・概要収蔵目録』において、第一回天隊に関する記述は一切割愛。
この収蔵目録が発行されてすぐ、まったく別の形から(自分が河合不死男の遺品のアルバムの存在を知り、靖国神社遊就館でパンフレットを見つけて)回天会に問い合わせ、小灘会長と出会うことになるのですが、会長が亡くなられた後の一連の出来事に違和感を感じ、「2000年以降の経緯」をまとめ、判明したこれらの事実に、何か一つの線でつながっている・・、という感覚を強めています。
(その後、インターネットが利用出来る環境となり、自分がHPを制作して発信、今日の流れになりました。)
現時点で、ブログで公開できるのはここまでですが、こういう事象というのは、おそらくは、「目に見えない力」というものが、どこかで働いているのだろう、と感じています。
小灘会長からいただいた手紙、メールは、HP開設後、100通あまりとなり、(当初は違う方向に行かれようとしていたとも推測しますが)、最後は立派にその責務を果たされた、「このご厚意は心底感謝しています」、と公言出来るものです。