回天誕生の経緯――必死兵器に結晶した憂国の至情 ~その2 | Be HAPPY 日々精進・・かな。

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回天誕生の経緯
 ――必死兵器に結晶した憂国の至情 ~その2

  吉松田守 <筆者は元海軍中佐・海軍省軍務局員>



黒木・仁科両士の膝づめ談判

 昭和十八年十二月二十八日のことであった。黒木中尉と仁科少尉はこの人間魚雷の構図を携えて当時、海軍省軍務局で潜水艦および甲標的などの戦備を担当していた私を訪れ、その採用方を要請した。

 この日、私は終日会議に追われて、自室に戻ったのは午後五時すぎであったが、私の帰りを長時間待っていた両君は、軍服に威儀を正して私に自己紹介したのち、きわめて真摯な態度で来訪の目的を述べた。

 「今こそわれわれ若人が身を棄てて国を護るべき時であります。願わくば、この人間魚雷をすみやかに実現して、われわれに与えて下さい。われわれは真っ先にそれに搭乗して、一人一艦敵艦に体当たり撃沈して、この難局打開につとめます。どうか実現にお力ぞえをお願いします」

 構図を私の机上にひろげて見せたが、憂国の至情みなぎる一言一句には、深く感銘させられるものがあった。提示された構図もきわめて具体的であり、技術的にも優れたものである。

 私は軍務局着任まで潜水艦長として戦場にあったので、戦局の重大なことは身をもって痛感させられていた。そして、この難局を打開するのは、尋常一様の手段では不可能であり、何か画期的な新兵器の登場以外にないと考えていたので、軍務局着任後直ちに技術当局に対し、新兵器の研究開発促進を要望しつづけてきた。それだけにこの両君の提案には、非常に大きな共鳴と可能性を感じたのである。

 しかし、この人命に関する”必死必殺”の兵器は、甲標的設計時の経緯によっても明らかなように、軽々にこれを処理することは慎まなければならない。そこで軍令部に連絡するとともに、上司である軍務局第一課長山本善雄大佐に報告して決裁を仰ぐことにした。

 山本課長は沈思黙考の後、自ら黒木中尉と仁科少尉を自席に呼んで、まず両君の憂国の熱情に敬意を表し、その研究努力に対しても大いに賞讃するところがあったが、しかし、この兵器の採用については諸種の問題があること、とくに”必死必殺”の人間魚雷の採否は、天皇陛下の大御心を拝する時、軽々に処理できないことなどを諄々と説いて時期到来を待つよう懇切に説得した。

 両君は不本意な表情であったが、帰隊の時間に迫られ、肩を落として部屋を去っていった。だが、この両君の情熱は間もなく貫徹され、いよいよ人間魚雷・回天誕生の日を迎えることになったのである。

回天刊行会発行『回天』より