燈影なき 室に我あり
父と母
壁のなかより杖つきて出づ
たはむれに 母を背負ひて
そのあまりの 軽きに泣きて
三歩あゆまず
ふるさとの 訛なつかし
停車場の 人ごみの中に
そを聴きにゆく
石川啄木の歌は、たしかに、人間の生の姿を鋭く描く才能を感じるのですが、
その一方で、『ローマ字日記』にあるように、前借りした給料で、金を待ちわびる田舎の妻子へ送ることもせず、浅草の遊郭に行き女を買ってしまう。そういう一面も持ち合わせていました。
自分なんかは、そういう方が、生身の人間らしくていいですけどね。
ただ人間をきれいに(ありえそうもない理想で)描いても、そのあとにやって来るのは、人間の決してきれいな心でない、「エゴ」だけだったりします。
啄木の歌は人の心をつく。それは、そういった人間の赤裸々な部分を、あわせもっているからこそと、自分には思えます。
画像は一日の仕事を終えて飲む、今日の焼酎。