老父が9/3に救急搬送され、
しかしその日に家にもどってきてから、
兄夫婦が手伝ってはくれたけれど、
老母が主に介護していたんだろう。
よくやってたなあ・・。
私が3日ほど入ったけれど、すぐに無理だとわかった。


9/9金から一人、京都へ帰ってきました車
老父はかなり回復していて、顔色や様子もしっかりはしていました。
ただ、やはり足がねえ。
ますます家の中でも杖なしでは歩けないし、
病院のように、廊下に手すりってのも、ないので、
そこらじゅうのつかめるものはつかみ、柱などの建具なども支えにして、
移動するという、大変な状態で・・。

トイレにかろうじて行ってはくれるものの、
食欲は以前とは比べようもないほど、少なくて、
っていうか、「何もいらない、いらない。」って言う。

昼間はまだしも、夜中のトイレが大変で。
物音がすると老母は、起きて神経を立てるし、
老父は朝も昼も、一日ウトウトしているわけで、
夜にぐうぐう寝られるってわけでもなく。
2時間おきくらいに、ごとごと物音がする・・。
それしか用事がないわけでねえ。

わたしは、心配する老母に、運動だと思えば、
運動になってるわけなんだし・・・と。
よっぽど、バタンドタンと音がしたり、
何か気がついた時だけ、起きればいいよ・・と言うんだけれど。

二晩、泊まっただけだけど、
老父の介護と老母の援助?ですぐに限界が。
3日目の朝方にはもうもう頭痛がガンガンして。
うわぁ、やばい・・・、いつもの頭痛と嘔吐か・・・?と。
マッサージしてくれる人はだれもなく、
わたしゃ、必死で自分の首マッサージをぐりぐりして。

そうこうしながらでも寝たのかなぁ・・。
ふと目覚めると何とか頭痛はぎりぎり消えていて、
嘔吐ゲボの感じもなく、
何とか帰れそうな気配。

老母のことを思うと、しのびないけれど、
兄夫婦にしっかりタッチして、
帰れるうちに帰ろう・・と車

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でも京都に帰った金曜午後には、ケアマネージャー?さんとも会えて、
っていうか、無理やり電話でお願いして会ってもらえて、
ポータブルトイレやシャワーチェア?をお願いし、
いろいろ相談させてもらえたんだけど、
倒れてから1週間になるのに、
何でいろんなことがさっさと進んでいないのか?と。

「本人さまがトイレに自分で行けるとおっしゃるので。
 頼んであったトイレをキャンセルさせてもらったんです・・。」

「お風呂に入れてもらえる所やなんかに行けないのですか?」
「お勧めしているのですが、本人さまが行きたくないと・・・。」

うーーーん、本人に必ず確認するんだよなぁ。
年寄りは正直に、言うからなあ。
介護の老母もいまいち、はっきり要望を言えないし、
何が必要かわからない・・って言うし。

わたしゃ、はっきり言いましたわね。
「ポータブルトイレお願いしたいです。」
するとケアマネさん、老父に確認する。
わたしゃ、すかさず「おじいさん、置いてもらおうね。」
「そうか?要るのか?」
「要ります!」・・・即答。

「お風呂も入れてもらおうね。」
「送迎してもらってまで、行かずとも、家で入りたい。」
「じゃあ、どなたか手伝っていただける方に来てもらえないのですか?」
「はい・・、ではお風呂介助の人を探してみます。
  シャワーチェアは要りますか?」
「要ります。お願いします。」・・・即答。
「わかりました。明日届けられるように手配してみます。」

もうもう、やっと進んだやん。
お姉さんがちゃんと言ってくださってるんだけれど、
老父がいまいち言うことを聞かないんだよね。
娘のわたしがきつく?しっかり?言って、やっとまとまった・・って感じ。

はあ・・・、いろいろむつかしいんだろうなあ。
ケアマネさんも兄夫婦の意見もちゃんと聞いてくださってるみたいだし、
それと、私の意見が喰い違わないように、
いろいろ気を使ってくださっているみたいだ・・。

まだまだ、全体的には落ち着いていなかったみたい・・。
またケアマネさんに会って次のことの相談を・・と思うんだけれど、
次に来ていただけるまで介護する体力と時間がわたしのほうになかった・・・。

三度のご飯も、作ったけれど、
何十年も離れている台所では、
いちいち、どこに何があるかわからない。
いろんな台所道具も常々と違うし、
調味料などもなんでもかんでも違うし、
洗濯も掃除も、思うようにならない。
そういうのが全部ストレスになってくる。

一度にしようと思うとだめだ。
また次、来たときに・・と、少しづつ入っていく?感じにしなければ。
張り切って、帰ってきたけれど、
すぐに頭痛では・・・・、情けない。

老母よ、ごめんねえ。