昨年、サッカーの元全日本代表だった松田選手が練習中に倒れ、2日後に亡くなりました。死因は急性心筋梗塞。まだまだ若く、夢を追っている最中の夭折でした。この死を受けて、JFLでもAEDを各試合会場に設置することが急遽決まったようです。AEDが最も有効にその威力を発揮するのは、心室細動の時です。心臓の下半分がピクピクと痙攣を起こしたように動いて、有効な血液を拍出することが出来なくなった状態です。これは、心筋梗塞とはまた症状や成因が違います。心筋梗塞は、血管が詰まってしまってその先の組織への酸素供給が途絶えるために組織が壊死を起こし、不可逆的なダメージを引き起こすものです。仮にの話ですが、松田選手が倒れたすぐそばにAEDがあったとして、彼の命が救えたかどうかは定かではありません。しかし、可能性は否定できない。従って惜しまれるべきことなのです。

私事で恐縮ですが、宮崎に来てまだ落ち着かない去年4月6日、義父が亡くなりました。今夜が山だよと急に電話があり、仕事が終わると同時に車で病院に急ぎました。佐賀の病院に9時50分に到着し、病室に駆け込んで手を握りました。気持ちがめげてしまいそうなくらいに、脈が不整でした。止まりそうになったかと思うと、タンタンタンっと早くなる。誰がみても深刻な状態でした。手をしっかりと握る。 右半身は痙攣を起こしていて、僕が握った右手も数秒間隔で襲う痙攣で、あたかも僕の手を握り返してくれているかのようでした。その手をじっと握りながら、その手の温かさを自分の手に覚え込ませました。 痙攣する手の力を、僕の手に覚え込ませました。 乱れる脈を、僕の指先に染みこませました。
父さん、今はね、東北で大変な地震が起こってしまって、多くの人が亡くなってしまい、天国の神様はとっても忙しいんだ。父さんの順番はまだ先だよ。だから、今逝っちゃダメだよ。
僕の頭の中で、そんなことを思い浮かべては指先を通じて父に伝われと念じました。 それと同時に、父との思い出、父との時間が頭の中を駆けめぐりました。父がまだ意識がはっきりとしていた時、最後に僕はどんな顔して別れたかな?
お見舞いに来たとき、どんな言葉が彼の胸に届いたかな?

僕の思考は止めようがなくなって、どんどんと広がっていきました。僕の実父との別れの時はどうだったかな?実父の顔。その時の自分の服装が思い浮かびました。 今、慌ててきたとはいえとんでもない格好しているな。

その時、乱れながらも鳴っていたピッピッという心電図の音が止まりました。
と同時に、指先で触れていた手首の脈が触れなくなりました。 慌ててモニターを振り返ると、心電図の基線が大小の波を描いて揺れていました。絵に描いたような心室細動です。“兄さん、Vf(心室細動)です!除細動を……”義父の長男であり主治医でもある義兄は、僕のその先の言葉を制止しました。
その数十秒後、ブルルっと全身を一度痙攣させて父は逝きました。 僕が到着した20分後に。まだ握っている手は温かいのに、握り返しているように感じていた手が動くことはもうありませんでした。

唐突ですが、僕は宇宙って人間と同じではないかって思っています。
難しいことは分からないけど、宇宙って無限と思われているけど、実は果てがあって膨張しているらしい。そして同じよう膨張している宇宙がパラレルに無数存在しているとか。 じゃ、膨張している先には何があるの?宇宙科学とかと言う言葉を耳にするたびにそう思っていました。しかし、ある時字面では全く理解できないけど、人に置き換えれば何となく説明が付くような気がして一人で納得していました。

人の思考は、無限です。頭の中で、思考や想像や創造は無限に繰り返し、大きさの制限もありません。想いはどこまでも巡らせることができ、無限です。誰だって、妄想が暴走した経験あると思います。
その無限が、人の身体の中という限りのあるものの中にあり、そして無限を持った有限の人がそれこそ何億と地上にいるわけです。 これって、考えられている宇宙を説明するのに一番分かりやすい例えではないだろうか?年を取ったら、その無限であった思考は認知症と言う収束を始める。これも説明つくと思いませんか?

あの時義父に起こったVfをAEDで正常調律に戻せる確率はかなり高かったと、僕は今でも思っています。でも、助けられるのはあくまでも義父の心臓であって、義父ではなかった。そうも思っています。彼は腎不全や肝不全も併発し、さらに肝性脳症も起こしていました。
松田選手は、倒れる直前に“ヤバいヤバい!”と唸ったそうです。心筋梗塞の特徴的症状として、死を予感させるほどの激痛とあります。まさか自分にそのような災難が降り掛かろうとは夢にも思わず、自分の夢を文字通り全力で追っかけていたまだ34歳の青年は、夢半ばにして、多分自分に何が起こったかも把握できないまま突然亡くなりました。

僕の手の中にあった、心臓が止まる瞬間まで存在した義父の無限の思考、松田選手が追い求め思い描いていた無限の宇宙はその瞬間どこに行ってしまったのだろう? 父や松田選手が一生をかけて築いた無限は、心臓が止まるという事象で消えてしまうものなのだろうか?
僕は、肉体は消失しても、彼らの思考はどこかに残るものだと信じています。いや、残るのではなく、残すのだと。残された我々が、彼らの思考を残すのです。義父が抱いていた想いを、松田選手が追いかけていた理念を、残された我々が引き継いで、残して行くのです。
義父はともかく、松田選手の死は、多分本人が一番驚いているでしょう。もっとやりたかったことがあっただろうに。もっと実現したい夢があっただろうに。それを途中であきらめなければならない、それも唐突に。これはどれほど無念だったか想像もできません。そして忘れてはいけないのは、東日本大震災でそのような人が2万人強もいたことです。
先にも書きましたが、松田選手の死をきっかけにAEDの普及が一気に加速しそうです。AEDで彼を救えたかどうか、ではなく、AEDが普及することによって夢半ばで亡くなってしまう松田選手のような人を少しでも救うことが出来れば、それは多分今の松田選手の強い想いだろうから。僕は、AEDの本当の意義はここにあるのではないかと考えます。

各地で松田選手の追悼行事が行われているようです。彼がいなくなったことは勿論哀しい。彼の死を悼み、そして記憶のどこかに紛れ込ませるのではなく、これをきっかけに例えばAEDの普及活動などに繋げていく。そうやって我々は、彼らの中にあった無限の宇宙を引き継ぎ、残していかなくてはならないと思うのです。
シューッと、音がする。
一分間に15回、一日中音がする。
そして、その音はもう1年前から、一日も休むことなく続いている。

音がする機械から蛇管がのびて、その先は小さな女の子の喉元へとつながる。
やっと3歳半を過ぎたばかりの女の子の、文字通り命の綱になっている。

目をつぶったまま、手足を動かすことのないまま、女の子は1年間横になっている。
3時間ごとに、ご両親に体位を変えてもらいながら、眠り続けている。

そのベッドからは、家族に囲まれて、元気に笑ってる写真と、3歳のお誕生日に知り合いや病院のみんなから送られた言葉が見える。

俺は、何も出来ない無力さに打ちひしがれながら、彼女の小さな手をせめて擦る。

壁にかかっていた、千羽鶴が担った一つの思いを、せめてその手に伝えられればと、握り返さない小さな手を、ずっとさすっていた。
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日記で声高に叫んでしまうけれど、おいらは大の犬好きである。
自分の家を買うときも、犬を飼うという目的が大前提としてあった。んでもって、その犬もずっと昔からゴールデンレトリバーと決まっていた。
どうしてなんだろう?

小さい頃、名犬ラッシーというアメリカの番組をテレビで見たことがある。あれはコリー犬だったと思うが、その番組に感化されたわけではない。
名もないドラマだったか映画だったか。
暖炉のあるリビングに大きなソファが置いてあり、そこにゆったりと腰掛けて本を読むお父さん。
その横に、金色に輝くゴールデンレトリバーが丸まっていて、お父さんは本を読みながらワンコの頭を撫でている・・・
そういうドラマを見た記憶が鮮明にあるのだ。

その風景は、なんて言うんだろう、生活のスタイルや文化の違いを飛び越えて憧れであり、希望であり、成功した大人の権化とでも言おうか、絵に描いたような夢の断片だった。

別に人生の勝利者になったわけでも成功したわけでもなんでもないが、俺は張り切って一匹のゴールデンレトリバーを9年前に飼った。
彼はゴールデン元来の性格で人懐っこく、甘えん坊で日中皆が仕事や学校でいなくなると随分と寂しがって、鳴いたり小屋の中をぐちゃぐちゃにしたりして手がかかった。
しかし、2歳を過ぎたあたりから急激に大人しくなった。
存在感がなくなると言おうか。
俺が仕事から帰ってくると、玄関に出てきて尻尾を振っている。
よしよしと頭を撫でると、満足したようにリビングに戻っていき、ソファの上に丸くなる。
俺のパソコンはリビングの一角にあるだが、パソコンに向かって仕事したりしていると、いつの間にか俺の真後ろに寝そべっていて、彼の片手(片足?)が何気に俺の背中に触れている。
なんだいたのか、としばらくじゃれてやると、また満足したかのようにソファに戻っていく。

一度この体験をすると、もう戻れません。

毎日、朝仕事前に30分彼の散歩をする。
ぼんやりした頭をすっきりさせる絶好の時間だ。
休みの夕方は、少し長めのコースを、今の季節なら蛍を見ながら歩いていく。

これがうちのワンコ第一号です。
彼は、2年ほど前に脳腫瘍でこの世を去りました。
donsukeのブログ-わんこ

初めてのブログ、やはり、大好きなワンコがテーマになりそうです。

読んでくれた人。
どうもありがとう。

ゆっくりと、マイペースで。
このページを綴って行きます。