さて、前回リブログした記事では、親鸞聖人が本願成就文の「至心廻向」を「至心に廻向せしめたまえり」と解釈された、という点について説明しました。このように、親鸞聖人には、お聖教の読み方や解釈に、誰もなされなかった独断的とも思われるようなものが幾つかあります。この機会に、他のものも紹介します。今回は、「南無阿弥陀仏」の「南無(なむ)」について説明した過去記事をリブログします。