古来、自己を知る「鏡」に、「他人鏡」「自分鏡」「法鏡」の三枚あると教えられますが、果たしてこれら三枚の鏡は、「本当の私」を映し出してくれる鏡なのでしょうか。

まずは、「他人鏡」です。
これは、他人の目に自分はどう映っているか、他人の評価した自分、という事です。       
しかし、この鏡では本当の自分は分りません。      なぜなら、他人という鏡は、都合によって、コロコロ評価が変わるからです。          自分にとって都合のよい相手は、善人と誉めるが、ひとたび自分にとって都合が悪くなれば、直ちに、悪人と非難します。
各人の、その時々の都合で判断が変転しますから、「昨日の味方は、今日は敵」という事もあります。

過去にも紹介しましたが、あの一休は、「今日ほめて 明日悪くいう 人の口
泣くも笑うも ウソの世の中」    と言っています。          今日は褒めても、明日は悪く言うのが人の口(他人鏡)。
だから、他人の評価など当てにならない。
褒められて有頂天になるのも、悪く言われて泣いているのも、空事だ。褒められたからといってその人が善人とは言えないし、悪く言われているから悪人とも決まらない。
その時々で変わるのが人の評価だ、と一休は笑っているのですね。

心というのは、盆の上の卵のようにコロコロ変わるから、「ロ」を一つ取って、「ココロ」と言われる、ともされます。

都合によってコロコロ変わる、他人の心で評価した自分が、本当の私を映しているとは言えないでしょう。      
勿論、他人からどう思われようが、構う必要はない、聞く耳を持つな、という事ではありません。 
真実の自己を映す鏡ではない、という事なのですね。