さて、釈尊のエピソードを新たに紹介します。

釈尊が、一樹の陰に休んでおられた時、近くの林で三十人あまりの貴公子が、夫人同伴で酒宴を楽しんでいました。

ところが、独身男が連れてきた娼婦のような女が、皆が疲れて眠っている間に貴重品を盗んで逃げたのです。驚いた一行が懸命に探しまわっていると、釈尊の姿を見ました。一行が怪しい女が通りかからなかったかと尋ねると、釈尊に次のように反問されて、はっと我に返ったとされます。

「事情はよく分かったが、その女を求めるのと、汝自身を求めるのと、いずれが大事であろうか」

一同、迷夢から覚めた心地がして、説法を聞き、弟子になった、とされます。

私達は、苦しい事があると、「この人のせいだ」「あの人があんな事を言ったからだ」「社会が悪い」等、苦しみの原因を自分以外にあると思いがちです。

これに対して釈尊は、
「苦しみの原因は、他にあらず、自分自身にある。だから、自分自身を知る事がまず大事なのだ」
と教えられているのでしょう。

これに関連して、
「知るとのみ 思いながらに 何よりも 知られぬものは おのれなりけり」
という歌があります。

皆、自分の事は、他人に聞かなくても、自分が一番よく分かっていると思っています。しかし、実は、自分ほど分からないものはありません。

「自分」ほど大事なものはないのに、自分ほど分からないものはないのですね。宇宙の事や何十兆という細胞や遺伝子の事が分かっても、自分が分かりません。ここに、私達の深い、果てしない迷い苦しみの原因があるのではないでしょうか。