前回紹介した歎異抄第七章の詳しい説明は以前したので省略しますが、「必ず浄土へ往ける金剛心」の「金剛心」を改めて説明します。

正信偈には、
「開入本願大智海
(本願の大智海に開入すれば)
行者正受金剛心
(行者正しく金剛心を受け)」とあります。

「本願の大智海に開入すれば」とは、弥陀の本願の通り、無明の闇が破られて、絶対の幸福の身に救い摂られたならば、という事です。

では救われたらどうなるのか。次に「行者正しく金剛心を受け」とあります。
「行者」とは行く者で、どこへ向かって行く人かというと、「弥陀の浄土へ往く人」です。
親鸞聖人は、人生究極の目的は、「この世で絶対の幸福に救い摂られ、来世は弥陀の浄土へ往って、弥陀同体の仏の悟りを開く事である」と説かれますので、「行者」とは、その究極の目的、弥陀の浄土に向かってゆく人です。
「正しく」とは間違いなく、「受ける」とは、阿弥陀仏から頂く事です。

では行者は、弥陀から何を頂くのか。それが「金剛心」です。
「金剛心」とは、金剛石のような心です。
金剛石とは、ダイヤモンドの事で、地球上で最も硬い石です。
「硬い」という事は、変わらないという事ですから、金剛心とは、絶対変わらない心です。
どんな事があっても、微動だにもしない心の事を、金剛心と言われるのです。
私達の心は、ころころ変わるから、「こころ」と言われるともされます。そんな変わりずくめの私達の心が、人生究極の目的を達成すれば、絶対変わらない心になるのだ、という事です。

どれ程変わらないのかと言えば、善導大師は「四重の破人」に攻撃されても微動だにもしないと教えられます。
「四重」とは四通り、「破人」とは破ろうとしている人で、弥陀に救われた人の信心を動乱させ破壊しようとする人達です。
どんな人達かというと、
(1)智者や学者
(2)初地以下の聖者
(3)初地以上十地以下の菩薩
(4)仏

弥陀に救われた人を仏が攻撃する事はあり得ませんが、仮定としてたとえあったとしても、信心は全く動揺しないという事です。
この四重の破人が総攻撃しても、微動だにもしない心が金剛心だと教えられます。

このように、人生究極の目的に向かって行く者には、必ず達成という事がある。この世で弥陀の本願に救い摂られたならば、どんな非難攻撃を受けても変わらない、鮮明不動の金剛心になれるのですよ、と親鸞聖人は断言されているのですね。