さて、釈尊のエピソードを新たに紹介します。

昔、インドに摩訶密(まかみつ)という大富豪がいました。その娘は絶世の美女で、誰もが見とれる美貌の娘でした。
摩訶密は
「うちの娘を美しくないと云う者がおれば、千両を出してやろう」とまで豪語する始末です。
実際に娘の顔や容姿は美しく、男といわず、女といわず一目惚れしない者はいなかったと言われる程でした。

得意絶頂の摩訶密は
「俺の娘は誰に見せても感心せぬ者はいない。
ひとつ出家の釈迦に見せてやりたいものだ」
というように思い、釈尊の所に出掛けて行きました。

すると、娘を御覧になった釈尊は静かに次のように仰せになりました。

「私はこの娘を少しも美しいとは思わない。なるほど容姿は如何にも美しい。しかし人間にはもっと美しいものがある。それは心の美しさだ。心の端正こそ真実の美なのだ」

釈尊の仰せられた通り、まことに人の美しさは、その人の心にあるのでしょう。
その人の心が豊かで美しくなければ、決して本当の安心や満足は味わえないのですね。

さすがの富豪も悟るところがあったとされます。

容貌が美しくなりたいというのが、ほとんどの女性の念願と言っていいのではないでしょうか。

釈尊は、真の美しさは、顔や姿態にあるのではなく、その人の心にある。秋空のように澄み切った清浄な心こそ美人の必須条件であり、男女を問わず養うべきは心の美なのである、と教えられているのですね。
その心を美しくする方法を教えられたのが仏教だと言えるでしょう。

以前紹介した、釈尊と玉耶のエピソードと共に、肉身よりも心の美しい人物になって、誰からも慕われる事こそが大切という事を知らされるエピソードですね。