前回出た「離言真如(りごんしんにょ)」・「依言真如(えごんしんにょ)」に関連する言葉に、「言語道断(ごんごどうだん)」があります。

「言語道断」とは、言葉が出ない程にとんでもない事、もっての他だ、というような意味で使われますね。

この「言語道断」は、仏教に語源があると言われます。
仏教では、仏教で教えられる真如(真理)が、言葉では表せない、説明し尽くせない事を、「言語道断」と教えられるのです。

前回紹介したように、仏教では真如に「離言真如」と「依言真如」があります。真如とは、本来、言葉で説明し尽くす事のできない、言葉を離れたものです。これを「離言真如」と言いました。
真如は言葉で表現できないのですが、言葉に依らねば、伝える事ができないので、言葉で真如を表すしかありません。これを「依言真如」と言いました。

前回紹介した
「維摩の一黙、雷の如し」
のエピソードは、真如とは、本来、言葉で説明し尽くす事のできない、言葉を離れたものである、という事を表したものと言えるでしょう。

何度か紹介したように、親鸞聖人には「不可称・不可説・不可思議」(教行信証)というお言葉もあります。
「不可称(ふかしょう)」とは、言葉で表す事ができない、という事。
「不可説(ふかせつ)」とは、説明する事ができない、という事。
「不可思議(ふかしぎ)」とは、想像する事ができない、という事。

このように、仏教には、大変深遠な、「言語道断」な事が教えられているのですね。